令和3年9月1日付

コロナ禍の昨年も40名以上を折伏!

冥の照覧信じ諦めない信行

 ソウル布教所は、本年で創立十六年目を迎える。
 今回は、ソウル布教所の二十七区域の中の東南区域の信徒で、毎年多くの方を折伏し、この四年間でも百八人を折伏している全鳳錫(ジョン・ボンソク)さんにお話を伺った。
  
●自己紹介と入信の経緯を聞かせてください。

 私は一九四八(昭和二十三)年、六人兄弟の四番目に生まれました。高校卒業後、二十歳の時、就職するためにソウルに住んでいた姉の家に三カ月ほど留まりました。姉は結婚しており、流産を繰り返すなど苦しい日々を過ごしていましたが、折伏されて素直に信心を始め、その功徳で元気な子を産むことができました。姉は私にこの話をして、一緒に日蓮正宗の信仰をしようと勧めてくれました。
 私は一カ月くらい頑なに拒否しましたが、結局は受け入れて入信しました。

●発心したきっかけは何でしょうか?

 入信後、すぐに就職先が決まりました。功徳を実感した私は積極的に折伏に打って出て、両親や兄弟をはじめ縁のある人たちを折伏させていただきました。
 最大のきっかけは、二〇〇五(平成十七)年のソウル布教所設立です。自分勝手な信心ではなく、御法主上人猊下より賜る御命題の達成に向かって、布教所責任者で指導教師の故・゙雄理御尊師の御指導に従って信心させていただけることが何より嬉しかったです。゙御尊師は常に、自行化他の信心をしなければならないと御指導くださいました。

●折伏の際に心がけていることを教えてください。

 御法主日如上人猊下は、
「折伏は一切衆生救済の慈悲行であり、自らの過去遠々劫からの罪障を消滅して幸せになるための最高の仏道修行であり、そして仏祖三宝尊に対する最高の報恩行であり、また仏様から与えられた尊い使命であります」(大白法 六八九号)
と御指南くださいました。私はこの御指南を身に体し、折伏にこそ信心修行が凝縮されていると思って、一日五時間以上唱題して勇猛果敢に折伏に打って出て、絶対諦めないで最後までやり続けることを心がけています。・
 私は三十年前に大きな交通事故に遭い足に金属のプレートを入れましたが、最近になってそれを抜く手術と椎間板へルニアの手術を受けました。入院した病院で苦しみに喘ぐ人々に会い、仏縁を結ばせなければと思って、患者さん、お医者さん、看護師さん等、会う人ごとに真心から折伏し、何人もが入信されました。その功徳か回復はとても早く、退院した日にすぐ動けるという不思議な経験もしました。
 近年はコロナ禍で折伏ができないと思いがちですが、指導教師の廬法泰御尊師より「今が一番大事だ」との御指導をいただき、一人ひとりに対し精魂込めて折伏しました。その結果、御命題達成の最後の年である昨年は四十一人、本年は六月末で十人の折伏を成就できました。御本尊様が御照覧あそばされていることを実感しています。

●特に心に残っている折伏を聞かせてください。

 何年も前のことですが、知人の親戚のAさんが、重大な事故に遭い、神経を損傷して回復が見込めないとの宣告を受けたことを聞き、お見舞いに行きました。私は、「日蓮正宗の仏法を一緒に信じてみましょう、もう一度、勇気を出してみましょう」と説得しました。Aさんは、意外と素直に、仏様を信じてみると入信を決意しました。
 退院した直後は、後遺症のため起きたり座ったりすることすらたいへんだったAさんを、私と私の家族は何とか回復させようと、その後七年間、私の家で面倒を見ました。家族のように一緒に暮らしながら共に唱題し、信心に励みました。一生不自由な体で生きていくしかないと言われていたAさんですが、少しずつ回復し、一緒に住んで七年目の年、ついに彼は完全に二本足で歩けるようになり、就職も決まりました。
 絶望的な状況から抜け出し日常生活ができるようになったAさんの話に心を打たれ、入信を決めた人も多くいました。現在、Aさんは副区域長として元気に御本尊様のお使いとして御奉公しています。

●最後に、折伏の決意を聞かせてください。

 新型コロナウイルス感染症の蔓延よって世界的に混沌とした様相を呈している今こそ、日蓮大聖人の、
「大悪をこれば大善きたる」(御書 七九六n)
との御教示を仰ぎ奉り、御法主上人猊下の、「折伏は(中略)最高の仏道修行」との御指南を身に体し、廬御尊師の御指導のもと、唱題に唱題を重ね、勇猛果敢にさらに折伏に邁進してまいります。そして、来年の日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念法要登山に、折伏した人たちと一緒に喜びの登山ができるように、より一層、唱題に折伏にがんばります。