令和3年2月16日付

魔が競う折伏のとき

真の功徳は揺るぎない確信

 アメリカ合衆国では、昨年の三月より新型コロナウイルスの流行が急速に拡大して、史上まれに見る感染者数と死者が出ている。カリフォルニア州の感染拡大防止命令により、ロサンゼルス妙法寺も昨年三月以降、信徒がお寺に参詣できない状態が続いている。
 今回は、コロナ禍に負けず地涌の菩薩の眷属としての自覚を持ち信心修行に励んでいる妙法寺支部の折伏推進委員のマット・マクガワンさんにお話を伺った。
  
●入信のきっかけについてお聞かせください。
マット
 私がこの信仰と出合ったのは一九八七(昭和六十二)年、二十四歳の時でした。当時の私は慢性的な首の痛みに苦しんで、鍼灸院に通院していました。鍼治療は一時的に痛みが和らぐだけでしたが、そこの医師のナカムラさんが楽天的な性格で、施術を受けるのが毎回、楽しみでした。ある日、ナカムラさんが「あなたの首はどこも悪くない。あなたの信仰に対する考え方が悪いんだ」と言い、日蓮正宗に関する書籍をくれました。私はカトリックの家庭で育ちましたが、長い間仏教に関心を持っていたため、抵抗なく彼の勧める日蓮正宗の座談会に参加するようになりました。以後、座談会に参加しながら勤行の仕方を習い、やがて入信を決め、御授戒を受け、御本尊様を御下付戴きました。

●入信後の状況を教えてください。
マット
 入信して間もないある夜、首がひどく痛むようになり、私は御本尊様の前で、今までにないほど真剣に唱題しました。しかし、よくなるどころか筋肉が突っ張って首は圧迫され、苦しくなっていきました。その苦しさから逃れるために、首の筋肉を柔軟にしようと試みましたが、何をやってもうまくいかず、逆に痛みは耐え難いほどになり、さらに苦しみました。
 数日にわたって続いた痛みに耐え真剣に唱題したところ、不思議なことにこの時から姿勢がよくなり痛みも和らいで、再びジョギングができるようにまでなったのです。
 とても嬉しくなって私は、早速、父に日蓮正宗の信仰を始めてからの不思議な体験を話しました。しかし、父は全く信じてくれず、ただ痛みが治ったことだけを喜んでくれました。家族や友人も信じてくれなかったので、レントゲンまで撮って、背骨の歪みが真っ直ぐになったことを証明してもらいました。以前通っていた整体師に至っては、しばらく通院していなかったのに「自分の治療の成果だ」と言い張りました。この時初めて、この信仰を伝えることの難しさを知ったのです。

●折伏活動についてお聞かせください。
マット
 私は、支部の折伏推進委員として折伏の推進に努め、お寺で行われる法話会で司会を務めることもあります。
 法話会では、相手がこちらの誠実さを感じられなければ、私たちの話を信じることはできないと思っています。どの宗教が正しいのか、私たちが信仰していてどのように思っているかを、素直に話します。
 時には、私自身の信心が弱くなることがありますが、そのような時には法華講の友人と組んで街頭に立ち、日蓮正宗のパンフレットを配ります。もちろん一人で行うこともあります。すると、何か新鮮な気持ちが涌き起こり、目の前にいる人たちと自然に繋がることができます。とても面倒臭そうな態度をされたり、パンフレットの配布を無視されたりもしますが、そのたびに「もっとがんばらなければ」と思えます。そして、相手の目をしっかりと見て正直に伝えることで、相手にも響くもの、伝わるものがあるのです。彼らが何と言おうと、私はこの瞬間、正法を伝えるというすばらしいプレゼントをしようとしているのですから。
 私が今まで折伏した人々との出会いは様々です。その中から入信に至る人もいました。私たち法華講員が一生懸命に折伏をすることにより、人々の生命に大聖人様の仏法が植え付けられ、やがて正法に導かれていくのだと観じています。コロナ禍で人々が悩み苦しんでいる今こそ、折伏の好機だととらえています。

●マットさんが折伏を通して得た体験と、今後の決意を話してください。
マット
 「一心欲見仏。不自惜身命」の精神で、大聖人様の御遺命に随って折伏を行ずるうちに、本当の信仰の功徳を知ることができました。
 私は長い間、英語の教師をしていました。仕事で日本に住んだこともあります。その間、多くの信心の同志と出会い、大聖人様の御書を学び、何度も総本山大石寺へ登山させていただきました。
 入信当初から様々な悩みを抱え、苦しむこともありましたが、誠実に信心修行することでそれらを乗り越えることができました。その体験が私を、多くの人々に正法を伝えたいという気持ちにさせるのです。
 折伏を通して、日蓮正宗の信仰に対する揺るぎない確信を得ることができました。この確信こそが、信仰の本当の功徳″だと思います。
日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節の本年、コロナ禍を乗り切って、一人でも多くの人々に大聖人様の正法の功徳を伝えていく決意です。