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御住職の率先折伏に奮起 御誓願達成へ唱題根本に粘り強く |
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シカゴ妙行寺は、アメリカ大陸の中央を南北に縦断する地域を活動範囲とし、その広さは日本の国土の約七倍にもなる。所属信徒は、遠隔地にあってもお寺への参詣を心がけ、各地の拠点を中心に日々活動している。 今回は、副講頭でシカゴ在住のチーウェイ・フアさんにお話を伺った。 |
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●自己紹介と、入信の経緯を教えてください。 チーウェイ はい。私は現在、妻、二人の娘と共に信心に励んでいます。 台湾で仏教徒の家に生まれましたが、大聖人様の教えではない間達った仏教では幸せになれるはずもなく、やがて私たち家族は経済的に困窮してしまいました。そんな中、友人の紹介で大聖人様の教えに出合い、一九八五(昭和六十)年から両親・妹の一家四人と現在の妻と共に勤行・唱題を始めました。すぐに大きな功徳を戴き、生活は安定しました。一九九〇(平成二)年、日本を訪れて家族五人揃って御授戒を受け、さらには有り難いことに大石寺開創七百年慶讃大法要にも参加させていただくことができました。 ●妙行寺信徒となった経緯をお聞かせください。 チーウェイ 一九九一年、妻と一緒に大学院生としてシカゴに来ました。シカゴは大都市なので日蓮正宗の寺院がすぐに見つかるものと思っていましたが、市街地を探しても見当たらず、電話帳でも見つけられませんでした。そこで、ニューヨーク妙説寺の近くに住む友人に頼んで妙説寺へ聞きに行ってもらい、妙行寺を知ることができました。 そして一九九二年一月、妙行寺への参詣を果たし、所属させていただきました。その時、本堂で御本尊様に唱題できた喜びと、御本尊様を御下付して戴いた感激は、今でも鮮明に記憶に残っています。 それから私たちは、毎週日曜日には必ずお寺に参詣しました。夕の勤行にもできる限り参加しました。 その年に妙行寺法華講が結成されることになり、私は幹事を拝命し、二〇〇九年には副講頭の役職を拝受しました。 |
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●シカゴでの折伏について教えてください。 チーウェイ 妙行寺の活動範囲であるアメリカ南部から中西部は、通称「バイブル・ベルト」と呼ばれ、熱心なキリスト教徒が非常に多い地域です。彼らは、「世の中のすべてが神のお導きである」と信じていますので、折伏しても入信を決意するまでには多くの困難があります。 また、お寺はシカゴの中心地から五十キロ以上離れた場所にあり、車でも一時間以上かかります。冬には気温がマイナス二十度を下回る日が続き、積雪により参詣できないことも少なくありません。こういった環境ですが、私たちは新来者をお寺にお連れできるよう努めています。 ●折伏成就のために特に力を入れていることはありますか? チーウェイ 近年、特に若者を中心に「社会環境の矛盾や自身の抱える悩みの答えは、キリスト教にはない」と考える人が増えてきました。そして、その答えを仏教に求め、妙行寺に自ら足を運ぶ人が少しずつではありますが出てきました。また、その流れもあってか宗教学を専攻する大学や高校の生徒たちが、授業の一環で妙行寺を訪れる機会も増えています。 御住職・加藤信学御尊師は、このような人たちに対して真剣に折伏されます。その姿を拝見し、私たち講員も積極的に折伏に取り組むことを決意しました。そのために、夫婦で毎日唱題を始めました。また、可能な限り、夕方六時から妙行寺で行われる夕の勤行に合わせて、読経・唱題しています。 さらに、毎週土曜日には支部の台湾人グループで折伏座談会を始めました。会場がいっぱいになる日もあれば、私と妻の二人だけのこともありますが、どのような時もけっして落胆せず、広宣流布のために少しずつでも前進しようと心に決めて、唱題しています。 年頭に御住職様は、本年の支部折伏誓願目標完遂のため、私たちが一遍でも多く御題目を唱えられるようにと、唱題表を作ってくださいました。私も他の講員の手本となるべく唱題を続け、七月の妙行寺創立記念法要の前までに折伏を成就 できました。現在も数名の方を折伏していて、唱題の功徳で年末までにさらなる成就を確信しています。 ●最後に今後の決意をお願いします。 チーウェイ 誓願達成に近道はありません。御法主日如上人猊下の御指南を拝し、御住職様の御指導のもと、朝夕の勤行とできる限りの唱題によって自らの境界を高めて真剣に祈っていくことが、唯一、誓願達成への道であると思っています。 私は、妙行寺の法華講員として副講頭の役職を全うし、まずは自身の折伏目標と本年の支部誓願目標を完遂し、二〇二一(平成三十三)年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の御命題達成へ向け力強く前進していくことを、ここに固く決意します。そして、大聖人御聖誕八百年の記念登山では本門戒壇の大御本尊様に晴れて御命題達成をご報告申し上げられるよう精進いたします。 |
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