平成29年4月16日付

育成、法統相続を重視〃対面〃活動で異体同心
広布に徹する姿で育てる
 台湾中部の妙行院は六地域の七支部・信徒約三千人が所属し、信行に励んでいる。その一つ豊雅支部は、七百人を超える大きな支部である。
 今回は、妙行院が創立される以前から地域広布に尽力してきた廖欽郎さんと、その息子さんであり現在の豊雅支部の責任者である、廖祐吉主任に話を伺った。
●それぞれ、自己紹介をお願いします。
欽郎
 私は現在八十歳で、御本尊様に御報恩謝徳できることを喜びに、楽しく生きています。家具製作機械の会社を経営しています。
祐吉
 私は欽郎の息子で祐吉、四十六歳です。父の会社で副社長として働いています。台湾法華講の豊雅支部主任としてご奉公しています。

●入信の動機と信心歴、特に法統相続についてお話ください。
欽郎
 私は民国七十五(昭和六十一)年頃に妻に折伏されました。私の母は台湾に古くからある道教を信仰しており、その観念を変えることはとても難しく、妻は隠れて信心していました。台湾では、中元節などの特定の日に、会社の入口や店先、町のそこここに祭壇を設けて神様や先祖の供養のために祈ります。これを「拝拝」すると言いますが、私の妻は日蓮正宗の信仰をしてからは、それをしません。嫁の立場ですから、姑の言う通り先祖伝来の対象に拝拝しなければならないところを、断固として妻は言うことを聞きませんでした。私は宗教なんかどれも同じなのだから、慣れているものでいいじゃないかと思っていましたが、妻の一途な姿を見て思うところがあり、入信しました。まだ台湾に日蓮正宗のお寺はありませんでしたから、御授戒を受けるために、日本に行きました。
 その頃、信徒は全国に点在しており、私は当該地域の信徒代表として地区長をしていました。学会問題から宗門主導の時代が訪れるまでの束の間の話ですが、宗門の御僧侶の正しい御指導が末端まで届かずに心細かったですね。
 そんな中、宗門主導の本当の台湾広布の幕開けとして、母体法人である中華民国日蓮正宗基金会が設立され、本興院が開院されました。私は引き続き、当該地域の信徒代表に任命されました。それから十二年、組織の代表としてがんばってきました。台中市に妙行院が建立され、前御法主日顕上人猊下が御越しくださった時は、本当に感激しました。
 台湾法華講には、組織の法統相続を鑑み、七十歳で退任という規定がありましたので、後の若い人に託しました。
祐吉
 私は、両親が信心していましたので、そのお陰で謗法に迷うことなく御本尊様に手を合わせることができました。
 民国八十四(平成七)年から八十六年だったと思いますが、青年部の支部長をしていました。
 家を出て自分で会社を経営するようになると信心から遠ざかり、唱題もしなくなっていきました。でも、お数珠は常に身に帯していました。会社の経営がおもしろいようにうまくいって、信心活動の時間を作ろうとしなくなりました。
 しかし因果応報ですね、経営がうまくいかなくなり負債を抱え、生活も苦しくなりました。そんな時、信心のことを思い出して唱題しました。そして、これは勤行できるようにならないとだめだと思い、勤行し始めました。そうしますと、不思議とお寺にも行きたくなり、だんだんと信心に身が入るようになり、毎日お寺に通うようになりました。
欽郎
 常に法統相続を御本尊様にお祈りしていましたから、息子が仕事で失敗したのは残念でしたが、若いうちの失敗はいい経験になったと思いますし、それによって発心したわけですから、今思えば有り難いことでした。これなら本当の意味での法統相続が叶うに違いないと、妻と一緒にたいへん喜びました。
祐吉
 今、支部主任としてご奉公していること自体、不思議に感じます。すべては両親の信心、特に父の広布への情熱に感激したことによると思います。仕事で忙しい時も優先的に時間を妙法に捧げてきた父を、誇りに思います。
 今願っているのは、私も息子がいますので、父と同じように、広布に邁進する姿を息子に見せたいということです。息子が信心のすばらしさを感じ、信心強盛に育ってくれれば嬉しいですね。



●昔と比べて支部組織のよくなったところと、今後の課題について、どう考えていますか。
欽郎
 お寺が出来、組織が大きくなり、時代も変わって今はSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)をはじめインターネット等がとても発達し、昔とは違います。ある意味、過渡期に差しかかっています。
 各活動への出席率に注目すると、指導会や御報恩御講など、思うように伸びていないと感じます。組織が一定の大きさに達するとぶつかる壁のようなものだと思います。
祐吉
 昔はネット環境などありませんでした。電話連絡、もしくは訪問して励ます。顔と顔を合わせて話すのが当たり前でした。そうであってこそ異体同心できるのだと思います。すべての人がSNSを利用しているわけではありませんので、最大限利用すると共に、昔と同じように電話や家庭訪問も行って、できるなら顔と顔を合わせて励まし合っていかなくてはならないと思います。便利なだけ、楽をするだけでは、実は上がってきませんね。
 組織として、特に組長さんには、「一方通行の連絡だけではいけない」という共通認識を持ってもらえるよう激励しています。

●最後に、今後の抱負をお願いします。
欽郎
 私は顧問という、退任した役員がいただく役目に就いていますが、信心は生涯現役です。とにかく今元気でいられることを御本尊様に感謝申し上げ、身軽法重の精神で講員の模範となれるよう、寺院外護に励みたいと思います。
祐吉
 私は、支部主任として、御本仏日蓮大聖人様の大慈大悲に御報恩謝徳申し上げるため、御法主日如上人猊下が御示しくださった御命題の達成へ、言い訳をせず、講員皆で異体同心できるよう努めていきます。そして、折伏と共に育成の大事を忘れず、長の一念を持った次世代の役員も育て、御法主上人猊下の御指南のまま、また御主管の御指導のもと、精いっぱいがんばります。