平成29年1月16日付

 二ューヨークの妙説寺はアメリカ大陸東海岸に位置し、トロントやオタワなどの都市があるカナダ東部から、マサチューセッツ州やペンシルベニア州などアメリカ北東部の九つの州、そしてカリブ海のトリ二ダード・トパコを管轄している。これだけ地理的に広いため、三時間、四時間と車を運転して参詣する信徒もたくさんいる。
 サラ・アイリーン・バンフォードさんもそういう信徒の一人だ。二ューヨーク州の東に接するコネチカット州に住み、地元で働きながらお寺に通っている。入信して今年で八年。今では年間十人を目標に折伏をがんばっており、毎年それを達成している元気で明るい女性である。
●入信に至った経緯を教えてください。
サラ
 私は、ブラジル人の母とアメリカ人の父との間に生まれました。家はカトリック教会の信者で、私は八歳の時に洗礼を受けました。小さな頃から教会に連れていかれましたが、子供心に違和感を感じていました。教会の中では、いつも争い事や問題が起きていて、それなのに、なぜみんな教会に行くのだろうと思っていたからです。
 日蓮正宗の教えを学ぶようになった今感じることは、カトリックの教えには首尾一貫した道理がないということです。教会は人々からの尊敬を失っているとさえ感じます。
 私を折伏してくれた人は、同僚の叔母さんでテレサ・マリバンさんという方です。二〇〇八(平成二十)年九月のある日、同僚と共にテレサさんの娘さんの誕生会に招かれました。楽しいひと時を過ごした後、テレサさんは、夕方の勤行を始めました。何も判らないまま私は勤行に同席する形となりました。それが私にとって、初めての御本尊様との巡り合い、そして初めての勤行でした。
 テレサさんは絶えず誰かを折伏している人なのですが、彼女から話を聞くうちにどんどん興味が涌きました。私は自分が住むコネチカット州から、車を運転してマンハッタンで行われている折伏ミーティングに出席するようになりました。御授戒を受けたのは、それから半年くらい経った二〇〇九年二月でした。

●ご両親をはじめ、毎年たくさんの人たちを入信に導かれていますね。どのように折伏を進めているのですか?
サラ
 両親は私にとってかけがえのない存在です。六年かかってしまいましたが、両親を折伏できたことは私の最大の喜びです。今でも両親の信心を励まして一緒に勤行・唱題することは私の最優先事項です。
 また私は、出会った人にはすぐに「自分は日蓮正宗の信徒である」と言うようにしています。折伏に至るまでには私なりのプロセスというのがあって、とてもシンプルなことですが、
一、折伏祈念の唱題
二、自分が日蓮正宗の信徒
であることを伝える
三、地区座談会に誘う
四、自宅に招いて、御本尊様を御安置している様子や信仰生活を見てもらう
五、妙説寺へお連れして、お寺の御本尊様を拝してもらう
です。今は、ソーシャルメディアのお陰で、いろいろな人とコミュニケーションを取ることが比較的容易です。そこでの出会いも活用しながら、折伏の輪を広げているところです。



●功徳を実感した体験について聞かせてください。
サラ
 御授戒を受けて間もなくのことですが、御本尊様に守っていただいたと深く自覚できる出来事がありました。自動車事故です。あと少しのところで大事故を回避できましたが、もし、信心していなかったら間違いなく、私が死んでいたか、誰かが亡くなっていたと思います。
 それからは、うまく説明できないのですが「一遍でも多くの御題目を」という気持ちに駆り立てられ、唱題に専念するようになりました。唱題するたびに言い知れない幸福感に包まれました。同時に、総本山に登山し本門戒壇の大御本尊様にお目通りしたい、という気持ちがどんどん膨らんでいったのです。
 そして二〇〇九年十一月にその願いを果たせました。信心を始めたばかりの私であっても、御本尊様は救ってくださいました。信心の功徳は説明し切れるものではありません。私が大事故を回避できたように、自分が願っていなかったとしても、御本尊様に祈っていくところに必ず功徳が現われると思います。

●最後に今後の決意をお聞かせください。
サラ
 二〇一一年の年末、御住職・滝川信雅御尊師が「新年に向けて一人ひとりが信心の誓願を立てよう」というお話をされました。それ以来私は、「毎年十人を折伏して、このすばらしい仏法に導く」という目標を立てて実践しています。コネチカット州はまだ信徒が少ないため、私はニューヨーク州のウエストチェスター郡の地区座談会に出席していますが、コネチカット州に信徒を増やし、将来的には御住職に出席いただいて地元での地区座談会を開きたいです。
 今後も御住職の御指導に従って、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年に向けて、積極的に家族・友人への折伏を続けてまいります。