平成28年10月16日付

信心即生活″を体験から掴めた大功徳
折伏、信心活動に迷いなし
 歴史的な建造物や文化が残り、「世界で最も暮らしやすい都市」と謳われるオーストラリア・メルボルン。人口は約四百五十万人で、国内ではシドニーに次ぐ大都市である。
 メルボルンの法華講は、未だ御僧侶が常駐していない状況にありながら、毎週の座談会や新来者ミーティングなど、連絡員を中心に積極的な活動を展開している。
 今回は、ふだんから法華講の活動に家族で参加し、精力的に活動を行っているヴイン・トランさんにお話を伺った。
●初めに自己紹介と、地元での活動について教えてください。
ヴイン
 私はヴィン・トランと申します。私は妻の折伏で入信し、現在オーストラリア・メルボルンで信心活動をしています。
 メルボルンでは、月三回の活動を主軸にしています。第一週は市内の公共施設で広宣流布を御祈念する唱題会を執り行います。第二週、第三週は信徒宅で座談会を開催し、教学の勉強やメンバーの体験発表を行っています。
 メルボルンの法華講は、異体同心の団結のもとに活発な折伏活動を展開しています。私たち自身で、組織は年々成長を遂げ充実してきていると感じています。いずれ必ず、このオーストラリアの地に寺院を建立する。これが私たちの最大の目標です。

●信仰を始めてからの体験談をお話ください。
ヴイン
 この日蓮正宗の正しい信仰を始めてから多くの功徳を戴きましたが、今日はそのうちの一つについて紹介させていただきます。
 これは数年前のことになりますが、当時私はIT関連の仕事の契約が切れて職を失い、家族で借家から追い出される寸前でした。私の家族は、私が働きに出て妻と幼い子供二人を養っていたため、新しい職を探すことが急務となっていました。仕事がなければ食事もきず、家賃も払えず、
追い出されることは必至です。当然、私と妻は大
きなプレッシャーを受け、一時は路上で生活をするのだろうかとも考えました。しかしそのような時、妻は私に、「私たちが御題目を唱えて信心を続ける限り、御本尊様が正しい方向へと導いてくださる」と励ましてくれました。
 私はそれから毎日、一時間の唱題をした後で職を探しに行くという生活を始めました。今考えると百件以上は就職の申し込みをしたと思います。ところが、唱題を始めて一カ月が経っても、一向に就職の面接を受けるところまで進めません。仕事を探さなければというプレッシャーは日に日に大きくなっていき私は落ち込みました。しかし、大聖人様の、
「冬は必ず春となる」(御書 八三二n)
との御金言を思い起こし、「私の冬はやがて終わり、春はもうすぐ訪れるに違いない」と自分自身に言い聞かせ、力強く御題目を唱え続けました。
 そしてついに、その時は訪れました。ある日、とある会社の役員から就職の面接を受けないかとの連絡があったのです。電話を切ってから、私は自分が就職を申し込んだ際につけてきた記録の中からその会社名を探しました。ところが、何度リストを見直してもその会社を見つけることができません。何と、どういう経緯なのか、自分が申請を出してさえもいない会社から電話を受けていたのです。私はたいへん驚き、それから一日二時間の唱題を始めました。
 私は無事に面接を受け、その日は自宅に戻ってさらに唱題をしました。その二日後、再度その会社から電話があり、IT管理者として採用されるとの通知を受けたのです。私は舞い上がるほど喜びました。しかもその会社は、家族を養っていくのに十分な収入を約束してくれたのです。
「こんなことがあるのか」と信じられない気持ちでした。受話器を置いた後、早速この朗報を妻に伝えましたが、彼女もにわかには信じられない様子で、「もしかしたら我々は騙されているのではないだろうか」とも思いました。
 結果的に、私たちは家から立ち退くどころか、念願の安定した生活を手に入れることができたのです。



●最後に、今後の決意などをお話ください。
ヴイン
 私がこの体験を通じて感じたことは、いかなる困難な状況に直面しようとも、日蓮正宗の信心を貫き、唱題を続けて努力をしていけば、必ず苦境を乗り越えることができるのだということです。御本尊様への信を全うしていけば、日蓮大聖人様の御金言の通り「冬は必ず春となる」ことを、皆様に確信をもって伝えていきたいと思います。