平成27年1月16日付

  昨年のサッカーワールドカップの開催地であったブラジル。日本の真裏に位置するにもかかわらず百万人を超える日系人がおり、ブラジル社会、さらには法華講を大いに支えている。
 今回は、正法寺のあるサンパウロより約百キロの都市、サンジョゼドスカンボス市の統括員(地区責任者)であり、折伏に登山に、まさに東奔西走する正法寺所属の上岡好敏マリオさんにお話を伺った。
●初めに、自己紹介をお願いします。
上岡
 私は一九六五(昭和四十)年に、家族揃って日蓮正宗の信仰に縁できました。しかし、当時のブラジルには寺院がなく創価学会主体の日蓮正宗の布教でした。最初の数年は、日々行われる会合等に参加していましたが、一九七二(昭和四十七)年に仕事の都合で引っ越しをしてから、次第に信心から疎遠になっていき、形だけ籍を置いているような状態が続きました。またこの間、何とか護持していた御本尊様を、言われるままに『ニセ本尊』に取り替えてしまいました。
 そのような中、二〇一三(平成二十五)年、たまたまインターネットで現在の日蓮正宗のこと、ブラジルにも寺院があること、創価学会の破門と『ニセ本尊』の真実等を知りました。そのようなことは創価学会員の知人、友人からも一切知らされておらず、まさに寝耳に水でした。このままではいられないと思い、現在住んでいるサンジョゼドスカンボス市から車で一時間半かけ、サンパウロの正法寺に参詣しました。
 御住職・安孫子信洋御尊師は、こんな私を快くお迎えくださり、学会が破門された経緯、『こセ本尊』を信仰することがいかに恐ろしいかなど、懇切ていねいにお教えくださいました。今までの信心が大謗法であると知った私は、その場できっちりと学会との縁を切り、日蓮正宗信徒として再出発したいと述べました。
 併せて、御授戒を受けていなかったことを御住職にご相談しました。その結果、この仏法に巡り合って四十余年を経て、御授戒を受けることができました。
 新たなスタートを切れ、今は日々正法護持の歓喜と共に仏道修行に励んでいます。また、昨年、未熟ながらも当地の統括員を拝命し、身が引き締まる思いでいっぱいです。

●ブラジルでの折伏などの信心活動についてお聞かせください。
上岡
 ブラジル人の九十パーセント以上はキリスト教徒ですので、そもそも仏教についての知識がほとんどありません。そのため、まずは仏教を知ってもらうことが大事だと思っています。
 私個人としては、連絡先と正しい仏法の説明が載った名刺大のカードを作り、日蓮正宗のポルトガル語版公式パンフレットと共に、町中で出会う人に配っています。この時、カードやパンフレットをただ押しつけがましく渡したり、チラシのように漫然と配るのではなく、世間話を交えつつ、仏法との縁、人との縁を大事にしながら配るように心がけます。そうすると不思議なことに、興味を持つ人や、親戚から聞いたことがある、などの声を聞くことができ、妙法の縁の不思議さ、偉大さを感じつつ折伏できるのです。その結果、現在までに四名の折伏が成就できました。
 折伏だけで終わらないよう、勤行の練習、寺院参詣、会合への参加をできる限りサポートして育成に努めています。

●入信してから一年足らずで、四回登山されているとお聞きしましたが、登山に対しての心がげ、決意をお聞かせください。
上岡
 二〇一三年七月の御授戒以降、一年少々の間に四回ご登山させていただきました。ブラジルは日本からちょうど地球の正反対に位置しますので、本門戒壇の大御本尊様へお目通りが叶うたび、その感激は一入です。
 私が長年の信心のブランクから学んだことは、やはり戒壇の大御本尊様こそ我々の信心の根本であるということです。そこを離れたら我意・我見しか生まれません。ですから、根本である戒壇の大御本尊様と総本山を常に忘れず、正しい信心を貫くため、一つのチャンスも逃してはならないという決意で、できる限りご登山しています。

●今後の信心活動への決意をお願いします。
上岡
 私には、当地サンジョゼドスカンボス市に御僧侶をお迎えして、寺院を建立したいという大願があります。
 その成就のためにも、自身、そして地区の折伏目標達成のため、ブラジルの広宣流布のため、御法主日如上人猊下の御指南、御住職の御指導のもと、精いっぱいご奉公させていただきたいと思います。