平成23年7月16日付

ブラジルから毎年ご登山できる喜び
こつこつ励み地域に正法広がる
ブラジル最大の都市サンパウロ。人口は千百万人を超え、活性化する経済の中心地である。
 そのサンパウロ市にある正法寺にも多くの法華講員が所属し、日夜信行に励んでいる。サンパウロ市から東に四十キロメートルほどのスザノ市にも、真剣に正法の護持弘通に励む法華講のグループがある。
 今回は、スザノ市の地域統括員であり支部認証幹事でもある工リオ・フジオ・カマタさんに話を聞いた。
●入信・入講の経緯を聞かせてください。
工リオ
 一九六四(昭和三十九)年十一月八日、両親と共に当時七歳の私も入信しました。当時は創価学会でしたが、十四歳の頃より積極的に活動を始め、役職にも就きました。
 しかし、一九七九年頃より学会の姿、特に「コーフ」と呼ばれる集金活動に疑問を持ち、活動から離れました。
 一九九八(平成十)年、大病を患っていた父が寿命を感じたのでしょう、お寺で葬儀をと望み、十四年ぶりに寺院に訪れる際、私も同行し、御僧侶と話をさせていただきました。二月に勧誡式を受け、その後間もない四月に父が逝去し、望み通り日蓮正宗で厳粛な葬儀を行っていただきました。
 そして六月に御本尊様を御下付戴き、日蓮正宗信徒として再出発しました。
●登山の取り組みについて教えてください。
工リオ
 私はこれまで十回の登山をさせていただきました。再入信後は、二〇〇〇年から二〇〇六年までは二年に一度、それ以降は毎年しています。
 特に心に残っているのは、一昨年『立正安国論』正義顕揚七百五十年に、家族五名が全員揃って登山できたことです。以前より、この年は家族全員で登山できるよう準備していましたが、新型インフルエンザの影響で急遽登山日程が変更されました。
 ブラジルからの登山は、費用の工面の他に時間を作ることも大きな課題です。再度家族全員の日程を合わせることは不可能と思われましたが、一丸となって祈り、不思議にも調整が叶い、全員で登山できたのです。
 本門戒壇の大御本尊様の御前に揃って座れたときの不思議な感覚、そして佐渡・塚原への訪問、何ものにも代え難いすばらしい思い出となりました。
●活動について聞かせてください。
工リオ
 一九九八年から地域統括員として、折伏、育成に努めています。二〇〇九年の登山には、地域から十五人が参加できるまでになりました。
 自分の地域以外にも折伏の縁は広がっています。四年前には、インターネットで知り合ったリオデジャネイロ(サンパウロから約四百五十キロメートル)の方が再入信されました。
 また昨年には、地域講員のお孫さんへの折伏をきっかけに、カンポグランデ(サンパウロから約千キロメートル)に折伏の縁が広がり、御住職・安孫子信洋御尊師に出張していただいて、初めて日蓮正宗の会合が開催できました。本年から御僧侶の定期出張が始まり、新たな正法広布の輪が広がっています。
 そして寺院でのご奉公の大切さを強く感じています。入講当時、妻も三人の娘たちもほとんど信心していませんでしたが、二〇〇〇年より月に一度、週末の寺院受付当番へ参加し始め、信心に対する意識が徐々に高まりました。これは現在でも家族ぐるみで続け、今では家族が皆、他にも様々なお役目をさせていただいています。
●折伏の際に心がけていることは何ですか?
エリオ
 私は、私と家族が感じている「幸せ」を多くの人に伝えたい、また学会の人には日蓮正宗の正しい信仰に戻ってもらいたい、という思いから折伏に励んでいます。
 あとは、こつこつとやることです。五年かかってようやく再入信できた人がいますが、毎月資料を持って行ったり、毎回会合に誘うといった積み重ねをしてきました。種を植え水を与え続ければ必ず芽が出るように折伏は必ず成就する、それを信じ、為すべきことをこつこつとやり続けることを心がけています。
●これからの目標を教えてください。
工リオ
 まずは妻と一緒に毎年登山することです。
 宗旨建立七百五十年慶祝記念海外信徒総登山の際、新しい念珠を買いました。その時、立宗八百年には九十五歳になるが、この念珠を持って登山したい、それまでも毎年登山させていただきたい、と強く思いました。これまで多くの功徳を戴いていますが、二〇〇六年以降毎年登山できていることが一番の功徳と、有り難く感じています。
 そして、距離に関係なく、ブラジル広布のために、幹事としてさらに努めていきます。
 最後に、今の私があるのは、この信心を始めた両親、特に逝去直前にお寺に導いてくれた父のお陰と、心から感謝しています。父も私たち家族が全員で信心に励む姿を喜んでいると思います。
 広宣流布に向かって共に歩むすばらしい家族にも感謝します。
 この三宝様の御恩、父母の恩に報いるため、地域広布に尽力し寺院建立を叶える、それが目標です。