平成21年3月16日付

インドネシアでは、滅多にない!背景が異なる人々が同志に
周囲の反対の中イスラム教から改宗

 大小一万以上の島々からなり日本の約五倍の広さを持つインドネシアでは、日蓮正宗の信徒は各地に設けられた拠点を中心に日頃の活動を行っている。御報恩御講をはじめとする法要や毎月の御書研修などは、妙願寺、法清寺において行われ、全国各地から大勢の信徒が参詣する。
 その他に、壮年部、婦人部、青年部の各部ごとの活動も活発に行われ、日曜日にはこれら三者合同の座談会も行っている。
 今回は、青年部の中から、責任者候補生の一人であるウィウィッド・クル二ヤワンさんに話を聞いた。
●自己紹介をしてください。
ウィウィッド
 私はウィウィッド・クルニヤワンと言います。二十五歳です。一九八三(昭和五十八)年に中部ジャワのトゥラワという村で生まれました。四人兄弟の長男です。村では、仏教徒はとても珍しく、ほとんどの人がイスラム教徒です。私ももともとはイスラム教徒でした。

●誰に折伏されましたか。
ウィウィッド
 私の家族は、両親も弟妹もすべてイスラム教徒です。しかし、私が生まれて間もない頃、母方の叔父が、友人の紹介で日蓮正宗の信仰に帰依しました。
 その叔父から、中学生の時に初めて日蓮正宗の話を聞きました。しかし、私は直ちに拒否しました。当時の私はイスラム教の教えを信じており、もしイスラム教から改宗すれば、その罪で地獄に堕ちると思っていたからです。
 しかし、それでも叔父は諦めずに、座談会へ私を誘いました。叔父は「座談会があるよ。功徳を積めるよ」と言いましたが、私は「座談会でおしゃべりしているだけで、功徳があるはずないでしょ」とうんざりして反論しました。それでも叔父は「座談会に出ると、とても楽しいよ」と言うので、私はさらにうんざりしました。叔父が我が家に来るたびに、私は座談会へ誘われるのではないかと、逃げ回っていました。

●どういう経緯で入信しましたか。
ウィウィッド
 当時の私は、学校をサボって友達と遊び回っていましたので、進級できずに高校を中退しました。両親は私に他の学校へ行くことを勧めましたが、私は気楽に過ごしたかったので、他の学校へも行きませんでした。
 時を同じくして、私の家族に問題がのしかかって来ました。祖父が村長選挙に立候補したのですが、そのことがもとで裁判になり、この訴訟のために我が家のお金はすべてなくなってしまいました。また私はチフスにかかり、入院を余儀なくされました。
 このような中、叔父が私に「御題目を唱えなさい」と勧めました。勧めに従い、初めて御題目を唱えたとき、私の目から涙があふれてきました。それまで、私の心の中にあった重い荷物が突然消えて、心の中がとても軽くなりました。どうしてだか判りませんが、初めて御題目を唱えたとき、強い感動を覚えたのです。
 数日後、叔父は妙願寺布教所(現・妙願寺)で行われる研修に私を誘いました。私は困難に直面していたので、誘われるままに参加しました。この研修の際、私は日蓮正宗の信仰について、さらに驚きを深めました。お寺はとても広く本堂も立派でした。信徒はインドネシア全土の様々な地域から集まっていました。青年部員も大勢います。
 特に私が驚いたのは、この宗教では、人種や教育や経済力などの背景の異なる人々が、友達になっているのを見たことです。このようなことは、インドネシアでは滅多にあることではありません。
 また、この研修の際、私は御住職様から人生を前向きにすることのできる話を聞くことができました。この宗教では、すべての人が自分の宿命を変えることができると言うのです。もし私たちが悪い宿業を変えれは、私たちの人生もよりよくなるというのです。「ということは、私にもまだ人生の望みがあるということだ!」と私は喜びました。
 それからは、地域の座談会にも参加するようになりました。青年部の人たちは、まだ信徒ではなかった私を温かく受け入れてくれて、楽しい企画も練ってくれました。活動に参加するたびに、私は日蓮正宗の信仰が好きになり、実家から最も近いサラティガの会館に頻繁に通うようになりました。青年部にも友達がたくさんでき、私自身率先して、皆と協力して様々な活動を企画したりするようになりました。
●家族は反対しませんでしたか。
ウィウィッド
 反対しました。家族だけでなく近所の友達までも私のことを敵視しました。私が改宗しようとしていたので、彼らは快く思っていなかったのです。故郷の友達には一年ほど無視されました。また家族との関係においても、実家にいづらくなりました。しかし、私の心は決まっていました。日蓮正宗は教義においても活動においても、とてもすばらしく正しい教えであると確信していました。
 その後、私の姿を見て、私の家族も友達も、また昔のように親切にしてくれるようになりました。敵視された頃からすれば、本当に不思議なことです。

●御授戒を受けたのは、いつですか。
ウィウィッド
 二〇〇五(平成十七)年の一月です。当時、前御法主日顕上人猊下の御親修のもと、妙願寺・法清寺の落慶法要が予定されていました。しかし、この法要には、御授戒を受けた人しか参加できないことになっていました。私は「この千載一遇の機会に、ぜひ参加させていただきたい」と強く思い、御授戒を、受ける決意をしました。
 二〇〇五年一月の法要は、御法主上人猊下の御慈悲によりスマトラ沖大地震・インド洋大津波犠牲者追悼法要に変更となりましたので、私はこの法要と、同年九月の妙願寺・法清寺の落慶法要の両方の御親修に参加させていただくことができました。とても有り難いことです。
 私にこのすばらしい信仰を教えてくれた叔父に心から感謝しています。そして、全く話を聞かなくても諦めずに折伏してくれた叔父に、恩返しをしたいと思っています。

●現在、がんばっていることは何ですか。
ウィウィッド 現在、私は青年部の責任者候補生として、青年部の活動のお手伝いをさせていただいています。
 また、故郷の家族や友達への折伏も実践しています。三人いる弟妹のうち、妹の一人は研修にも参加したことがあります。またその他にも故郷の友達のうち、二人が研修に参加し、そのうち一人は毎日御題目を唱えるようになりました。まだ私の折伏で御授戒を受けた人はいませんが、私も御授戒を受けるまで時間がかかったように、時が来るまで諦めずに折伏を続けていくつもりです。
 私は、この日蓮正宗に帰依して、人生に希望を見つけました。このインドネシアの地で広宣流布が達成せられるためにも、私はよい人材となれるようがんばってまいります。