平成20年3月16日付

大切な人々すべてと来年の慶祝登山へ
アリカンテ広布の一歩 家族が入信
  スペインの首都・マドリードから南東に約四百キロメートル離れた所に、三つの県からなるバレンシア州がある。この中の一つ、アリカンテ県の県庁所在地であるアリカンテ市は、地中海に面して気候が温暖な国際リゾート地コスタ・プランカの、中心的な街である。またこの街は古来より「光の都」や「白い砦」とも呼ばれ、真っ白な家々と、太陽の光に溢れた明るい街である。
 フアン・ブストさんは、二年前にマドリードからご両親が住むこの地に移り住み、アリカンテにおけるたった一人の法華講員となった。そして、念願であったご両親の折伏、さらにお兄さんの折伏も成就したことで、地涌の友も、l人から今では四人となった。また、ふだんはバレンシア市等の法華講員と連絡を取り合い活動している。毎月の御報恩御講への参詣、また地域の折伏や活動に奔走している彼に話を伺った。
●まず初めに、入信の動機について聞かせてください。
フアン
 はい。最初にこの仏法の話を聞いたのは、一九九六(平成八)年、私がマジョルカ島にいたときでした。話してくれたのは、妙昌寺の法華講員のマリアさんで、彼女はその頃からの大切な友人です。でも、その時は入信を決意できませんでした。まだ信仰をしようという準備ができていなかったと言いますか、自分にとって今がそういう時だとは、思えなかったからです。
 その日がやってきたのは、二〇〇三年でした。いろいろなことがあって、人生が全く意味のないように感じるほどに落ち込んでいました。そして、迷わずマリアさんに電話をかけたのです。「妙昌寺の住所と電話番号を教えて欲しい」と。
 その時から妙昌寺に通い始めて、まず御授戒をお受けし、二〇〇五(平成十七)年四月、自宅に御本尊様をお迎えいたしました。それ以来、欠かすことなく毎日、勤行・唱題に励んでいます。

●判りました。次に、あなたが初めてご登山されたときの感想などを聞かせてください。
フアン
 私の初登山は二〇〇六年の御霊宝虫払大法会でした。ご登山前、周りで様々なことが起こり、本当に辛い時でした。私は折伏した眷属と共にご登山させていただきましたが、総本山に着いても、寂しい気持ちは変わりませんでした。しかし、御開扉や大法要、そして丑寅勤行等に参加させていただく中で、「今回のご登山は、自分の信心や気持ちをしっかりしたものへと変革するご登山である」と思えるようになったのです。同時に、「両親の折伏を成就させてください」と真剣に本門戒壇の大御本尊様に御祈念をさせていただきました。
 帰国後は、大きな事柄がいくつも起こり、私の周りの状況は劇的に変わっていきました。ご登山の功徳を体験することができた、すばらしい初登山でした。
●昨年、まずお母さんが、次にお父さんとお兄さんも御授戒を受けられましたね。
フアン
 はい。家族は私にとって、かけがえのない存在です。小さな頃から、家庭問題の中で育った私は、家族がいつか一緒に仲よく過ごせる時がくればよいのにと、ずっと思ってきたのです。ですから、この信心を始めたときから、「御本になれますように」と御祈念してきました。しかし、実現には困難が伴うであろうことも感じていました。
 折伏は慎重に、焦らずにしました。たいへんでしたが、少しずつ家族が私の言葉に耳を傾けてくれるようになり、それまで決してなかった、家族の気持ちが一つになるような状態が出てきたのです。折伏をすることでうれしくなり、また、大切な人のために私ができることは、折伏なのだと感じるようになりました。
 もちろん、折伏は簡単ではないでしょう。特に家族や愛する人を折伏するのは、最も難しいかも知れません。ですから、両親や兄といった私の大切な人たちが御授戒を受けたときには、御本尊様のすばらしさを改めて感じ、心の底から歓喜できましたし、また自分自身を誇りにも思いました。
●ありがとうございました。最後に、明年の『立正安国諭』正義顕揚七百五十年に向けての抱負や決意をお話ください。お願いします。
フアン
 はい。最大の目標は、両親を含めた私の最も大切な人たち全員で二〇〇九年の慶祝登山にご登山させていただくことです。その中にはまだ折伏していない人も含まれていますから、まず彼らが御授戒を受けることができるように根気よく折伏を続けていきます。もちろん、広宣流布のため、その他にもできるだけ多くの人に、この仏法のすばらしさを伝えていきたいと思っています。
 そして、菩提寺である妙昌寺を外護し、常に御指導をいただいている御住職・中野道賢御尊師のもと、精一杯の精進をさせていただく所存です。