平成19年9月16日付

 現在、大韓民国では全域の各信徒会をソウル布教所が統括している。その中でも最も布教所に近いソウル地域の信徒の八割を占めているのがソウル信徒会である。
 今回はそのソウル信徒会の婦人部長として活動し、布教所設立やその後の発展に、持ち前の行動力をもって大きく貢献した中心者の一人であり、個人的にも多くの折伏成果を挙げている李貞任(イ・ジョンイム)さんにお話を伺った。
●まず、入信動機について聞かせてください。
李 私は一九八八(昭和六十三)年五月四日に入信いたしました。家族は夫と息子二人の四人で日蓮正宗の信仰をする以前は念仏宗の信仰をしていました。また、その当時はブランド品の女性服の店を経営していました。
 入信の動機は、その店が入っていた百貨店が不渡りを出し倒産してしまい、事業は壊滅的な被害を受けたことによります。借金の返済には追いつきませんでした。
 そんな中で、夫は家庭を捨て、他の女性との生活を始めるようになってしまいました。私は何度も自殺を考えましたが、子供二人を残して死ぬことはできませんでした。
 そんな時に、日蓮正宗の信仰に出会い、藁をもつかむ思いで入信いたしました。
 折伏されたときに私は、「この信心をすれば、私の持つすべての苦しみを解決することができるのか」と質問しましたところ、「あなたの信心によって、必ず的得のいく結果を得ることができますから、安心して信心をしましょう」と言われ、その言葉を信じて入信いたしました。

●入信後の功徳の体験を聞かせてください。
李 入信後、すぐには御本尊様を御安定する環境が整わず、私は必死で壁に向かっての唱題と、見よう見まねでの折伏に歩き回りました。
 入信百日目に、生死も判らなくなっていた夫が突然帰ってきました。それまでの私であれば絶対に夫を許すことはできなかったと思いますが、苦しんでいたのは私だけでなく、夫もやはり苦しんでいたのだと感じました。それなのに、その夫を追い詰めてしまっていた自分の至らなさを感じることができるようになりました。夫が変わる以前に自分自身が変わらなくてはならないと知ったことが、一番の功徳だったと思っています。
 その後、御本尊様を御安置し二人の息子と信心をするにつれ、また、折伏が成就するたびに夫の事業も順調に拡大し、生活も安定してきました。しかしその反面、夫の信心に対する反対は激しくなってきました。
 ところがその後、紆余曲折を経ながらも、題目を唱えながら臨終を迎えた夫の母親の死に際して、夫が家族の信心を認めてくれるようになったのです。
 今では大石寺登山の折には、必ず空港まで送ってくれ、時間さえ合えば布教所に行くときにも車で送ってくれるようになりました。
 また、二〇〇一(平成十三)年の夏には、姉が大病を患ったことにより入信し、その病気を克服しました。そして、その姿を見た他の姉妹や親戚の多くが入信いたしました。
 今までを振り返ってみますと様々な問題がありましたが、長い目で見るとすべてが良い方向に進んでいるように思います。もちろん、そのときには何も判らずにただ必死に信心しているだけなのですが、問題が起こったからこそ、一生懸命に信心することができ、結果的には大きな功徳を戴けたのだと思います。

●多くの方を折伏されていますが、折伏についてお話ください。
李 入信当初より私に折伏の大切さを教えてくださった先輩の方々に、心より感謝しております。
 折伏とは相手がいるものですが、私は自分自身との闘い、つまり自分自身の修行なのだと思っています。しかも、それは日蓮大聖人様のお使いとしてですので、唱題を重ねていけば勇気も涌き、不思議と言葉も浮かんできます。
 ですから、大聖人様に折伏させていただいているのだと常に思うこと、そして感謝の気持ちを持つことが大切だと思っています。また、そこには数多くの感動があり、その気持ちが、また次の折伏の原動力になるのだと思います。

●最後に二〇〇九(平成二十一)年に向かっての抱負を聞かせてください。
李 個人的には、まず何よりも夫を入信させ二〇〇九年には家族全員が揃って登山をしたいと思っています。それが今まで数え切れない多くの功徳を戴いたことへの、御報恩謝徳の道だと思っています。
 また、一年に一人の折伏をするのは当然のこととして、私の折伏により入信した方々も、二〇〇九年には一人も残さずに登山させてあげたいと思っています。
 そしてソウル信徒会の婦人部長として、一人でも多くの信徒と共に登山をさせていただこうと思っています。そして、それは必ず大韓民国の大いなる発展に結びつくものと楽しみに思っています。