平成19年8月16日付

  一九九二年にわずか七名 でスタートしたフィリピン広布。以来十五年が経過した現在、信徒数は干名に達した。  l
 今回紹介する湯川哲治さんは、神奈川県小田原市出身で、在フィリピン十七年目の四十六歳。フィリピン人、日本人、中風人と様々な文化・風習の入り交じった信徒組織の中で、中心的存在として活躍を期待される一人である。
 異国に根を張り、異文化に溶け込みながら海外広布の前線に立つ日本人信徒にスポットを当ててみた。
 ●まず、入信の動機について教えてください。
湯川 実家で母が亡くなった折に帰国し、曹洞宗で葬儀を行いましたが、どこか軽薄に感じてすっきりせず、漠然とした疑問を持ってフィリピンに帰ってきました。その頃、友人の八丁孝秀さんに誘われて日蓮正宗の座談会に出席しました。その席上、フィリピンに出張してこられた御僧侶に疑問を投げかけたところ、明快でよどみない答えが返ってきました。そのとき「ああ、この宗教は本物だな」と思い、入信を決めました。フィリピンに住んで七年目のことでした。

●フィリピン人の奥さんも一緒に入信されたのですか?
湯川 いいえ、妻はそれから五年ほど経ってからです。妻は、私の入信は全く意に介さない様子でしたがが、フィリピン人の彼女自身が日本の宗教に改宗することにはかなり抵抗しました。「フィリピン人の宗教はキリスト教に決まっている」という凝り固まった考えを解きほぐすのに、ずいぶん苦労しました。
 ●最近、折伏を成就されたと聞きました。そのことを教えてください。
湯川 きっかけは、仕事上の問題解決に向けて唱題をしたことです。
 私はフィリピン在住当初から、マンゴーを日本に向けて輸出する日系企業と合弁関係にある現地企業に勤務し、現地責任者を任されていました。ところが昨夏、突如、自社の商品が厚厚生労働省の規制対象に挙がって輸出できなくなり、会社が存亡の危機に陥りました。本社と現地の間に立ってトラブル処理に奔走しましたが、その甲斐なく事態は悪化し、本年二月には、とうとう解雇を言い渡されてしまいました。
 家族を路頭に迷わせるわけにもいかず途方に暮れていたところ、フィリピン事務所責任者・山澄信玉御尊師より「こういう時こそ御題目です。きちんと誓願を立ててやり遂げていきましょう」と励まされました。
 翌日から、二時間唱題のため事務所へ通いました。車を使えば十分の距離ですが、簡単にお詣りできては修行にならないと感じ己の弱い心に打ち克つため、自宅から片道一時間かけて、毎日歩いて参詣しました。
 なかなか光が見えず「いよいよ日本に帰って職探しかな」と弱気になりかけた頃、有り難いことに退職金が手に入りました。そこで、十歳になる長男と妻と三人で御霊宝虫払大法会への参加を決意しました。家族揃っての登山参詣は初めてで、御宗門の歴史を直に感じることができる荘厳な儀式に参列でき、また、世界中の信徒と交流を持つことができ、記念すべき登山となりました。
 登山参詣の功徳は、私よりむしろ妻のほうがたくさん持ち帰ったようです。帰国後すぐに、母親をはじめ親戚を折伏しました。これまで何度話をしても聞いているだけの彼らが、妻の熱心な姿に打たれて入信を決意し、五月六日の広布唱題会の折に十四名が御授戒を受けました。その後も妻は折伏を続け、今は親戚全員の入信が叶いました。

●折伏成就の後、何か変化がありましたか?
湯川 はい、事態が急展開したのです。可能性はないと思われていた本社と現地企業との和解が成立し、柔軟に合弁解消できました。
 次に、事業再開の目処が立った時点で、本社は新たな現地出先機関の担当者として、私を改めて採用することを約束してくれました。そしてこの程マンゴーの輸入禁止が解除され事業を再開し、私は現地法人の役員に選出されました。
「この信心をしていると『こんなことが起きるのか』というすばらしい体験をする」と聞いていましたが、まさにそれを実感しています。今後もさらに、真剣な唱題を続けたいと思います。
 正直に申し上げると、これまでは、信徒中心者の役目に対して何となく自信がなく、「言われたことを言われた通りやれれば、それでいい」と受け身の姿勢でした。しかし、この体験を通して、御僧侶の言葉は素直な気持ちで受け止め、家族や他の信徒に積極的に伝えていかなくてはならないと確信しました。
 その成果が早速現れ、家中の者が信心に前向きになり、私や妻が用事で参詣できなくても自分たちだけで唱題会に足を運ぶようになりました。御説法の通訳に挑戦している青年部員が、本年一月二十一日に移転した新事務所の前に住んでいますので、最近は常にフィリピノ語で御法門を聴けるようになりました。これも大きく影響しています。会合に参加するだけでも「マサヤ(幸せな気分だ)」と言っていた彼らにとって、喜びも倍増のようです。
 お陰で今では、「二〇〇九(平成二十一)年は家族揃ってお山に行こう」と、私より妻のほうが張り切っています。十年近く信心してきて、今が一番幸せです。
 ●最後に、フィリピン広布への決意をお聞かせください。
湯川 振り返ってみれば、入信に至るそもそものきっかけは、海外に住むようになってかえって、「自分は日本人である」と強烈に意識するようになり、日本の文化や伝統、特に仏事について関心を持ったことでした。在留邦人の中には同様の方が多いようです。中には「お寺に通っているそうだね。冠婚葬祭などで何かある時は頼むよ」という人もいます。
 また、新事務所がある場所は、世帯主が日本人であるお宅が多いエリアです。私の友人、知人もたくさん住んでいて、最近は息子の友達が座談会に参加することもあります。今後は、事務所近辺の折伏に特に力を入れます。なお、本年の「日蓮正宗フィリピン事務所創立五周年・千名信徒達成」の目標を七月十五日に成就しました。二〇〇九年に向けて「地涌倍増と大結集」に貢献できるよう、さらにがんばります。