平成19年5月16日付

 
 台湾南部・高雄市にある法宣院は、当初、本興院南台分院として開設され、その後、南台布教所となり、二〇〇一(平成十三)年九月二十八日、第六十七世日顕上人猊下大導師のもと、移転新築落慶入仏法要が奉修され、現在に至る。
 今回は、法宣院の管轄地域である台湾南部の幹事(信徒責任者)を務めている黄錦樹さんに、入信の動機・信仰上の体験等についてお話を伺った。
●はじめに自己紹介をお願いします。
黄 私は一九五一(昭和二十六)年に台湾中南部で生まれました。
 仕事の関係で高雄市に移り、一九七四(昭和四十九)年に家庭を持ち、一男二女に恵まれました。今日まで三十三年間、高雄市で生活しています。
●入信の動機を教えてください。
黄 私は若い頃、就職した公務機関の仕事を二年で辞め、自分で工場を開きました。しかし、わずか一年足らずで多額の借金を負うこととなってしまいました。
 この大きな借金に悩み、夜も満足に眠れなくなり、さらにひどい高血圧になるなどして、体を壊しました。薬や注射も効果がなく、友人から勧められた占いに多額のお金を費やし、さらにひどい経済状態となりました。
 このような状況を見ていた兄が、私を折伏に来ましたが、私は反抗ばかりしていました。
 そして二年余りが過ぎ、生活がさらにひどくなっていたとき、ふと、兄が折伏してくれたときに私に言っていた言葉が頭をよぎり、それ以来毎日、わずか数分でしたが御題目を唱えるようになりました。ただし、このことは兄には内緒でした。
 すると半月後、不思議なことにぐっすり眠れるようになり、体調が戻ってきました。自分自身の気持ちにも張りが出てきて、まるで生まれ変わったような感覚でした。
 以後、私は妻と共に唱題に励むようになりました。すると、借金の利息を免除してもらえるようになったり、さらに生活が落ち着くまで返済を待ってもらえるようになりました。
「妙とは蘇生の義なり」(同360)
との大聖人様の御金言を深く心に感じて入信を決意し、一九八六(昭和六十一)年三月三日に御授戒を受けました。
●入信したときのこと以外で、これまで信心してきた中での、大きな体験は何かありますか。
黄 入信した年、初めて総本山大石寺に登山しました。その頃先輩信徒の「御本尊様に対する確信を持って、借金や病気の罪障を消滅できるように御祈念していきましょう」との激励を思い出しながら、御開扉を受けさせていただきました。
 登山から帰国した後、私は大きな仕事を得ることができ、その仕事がきっかけとなり私の経済状況は大きく変わりました。
 生活が大きく好転した私を見て、両親も入信を決意しました。私自身も幸せな、妙法を根本とした家庭を築くことができました。
「花は開いて果なり、月は出でて必ずみち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨ふれはさかう、人は善根をなせば必ずさかう」(同一四四六n)
との御聖訓を、深く心に感じたのでありました。
●台湾法華講の役員として、常日頃からどのような心構えでいますか。
黄 御本尊様より戴いた偉大なる功徳を忘れることなく、より多くの、妙法広布のための人材が育つ環境を整えていきたいと考えています。
 また、法統相続に励み、御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、御住職の御指導のもとに、僧俗和合・異体同心して信行に励み、寺院の外護に努めていく心構えでいます。
●二年後の立正安国論正義顕揚七百五十年に向けての、黄さん自身の抱負を聞かせてください。
黄 御法主日如上人猊下は、
「地涌倍増と大結集の御命題を達成するためには、折伏以外はありません」(大白法 七〇三号)
と御指南されています。
 常に御本尊様に守られていることを肝に銘じ、どんな障魔が来ようとも恐れず、法華講員のさらなる折伏奮起を促し、まず自身が台湾法華講員の模範となっていくべきだと考えています。
 そして、名実共に地涌倍増と大結集を必ず成就させていく決意であります。