平成18年11月16日付

守られたこの命をインドネシア広宣流布に
津波にのまれ、九死に一生得る
二○〇四(平成十六)年十二月二十八日に起きたインドネシア・スマトラ沖地震の被害は、インドネシアばかりでなく、インドやスリランカなどの周辺諸国や、遠くアフリカ大陸まで及んだ。
 特にインドネシア・バンダアチェ特別州では、地震に伴う津波による被害も甚大であった。現地に在住する信徒の中にも、死者こそ出なかったものの、被災した方が少なくない。
 そこで今回は、スマトラ沖地震で、津波にのみ込まれたにも拘わらず、九死に一生を得た信徒の一人、工ルヴィ−夕・シュー・パオ・チェンさんに、地震を通しての体験と、その体験で得た今後のインドネシア広布に対する決意について、お話を伺った。
●まずは自己紹介をお願いします。
工ルヴィ−夕
 私の入信は一九九九(平成十一)年で、妙願寺布教所(現在の妙願寺)で御授戒を受けました。それまで私は、原因不明の病に苛まれストレスも募り、あらゆる療法を試みましたが、病気が治ることはありませんでした。
 そのような時、既に日蓮正宗に入信していた主人に勧められ、三カ月間御題目を唱えたところ、不思議にも体調が回復したので、入信を決意しました。
●エルヴィ一夕さんも、あのスマトラ沖地震の被害に遭われたと伺いました。
工ルヴィ−夕
 はい。地震が起きた当日の朝、いつも通り自宅で勤行・唱題をしていましたら、小さな揺れを感じたのですが、別に気にせず、そのまま唱題を続けました。そうしたら今度はさらに激しい揺れが十五分くらい続いたのです。その時はさすがに驚きました。
●その時の体験を詳しく教えてください。
工ルヴィ一夕
 この地震で、バンダアチェ全域にわたって被害があり、多くの建物が崩壊しましたが、私の家では、棚の上にあった物がいくつか床に落ちた程度で、壁に亀裂が入ることもなく、御本尊様や仏壇にも全く被害はありませんでした。とても大きな地震でしたが、そのときは津波の心配もそれほど感じなかったので、夫や息子夫婦には反対されましたが、買い物に出かけてしまいました。
 家を出てから数分後、大勢の人が「海面が高くなっているぞ!」と叫びながら走っていく姿を目撃しました。すると突然、空が暗くなり、高さ十メートルほどの波がこちらに向かってきました。その時ようやく、自分が災害のまっただ中にいることに気付きました。そしてどこかに避難しようと考え、目の前のフェンスを登って、近くの家の屋根に上がりました。安心したのも束の間、瞬く間に津波にのみ込まれ、ゴミやボートと一緒に波に流されたかと思うと、しばらくして学校の屋根の上に押し上げられました。
 その後も、できる限り高い所へ登るようにという警戒警報の中、数回の津波があり、時間が経つにつれて、周辺は所構わず亡骸が散乱するなど、言い表せないような悲惨な状況と化していきました。私自身もこのままではまずいと感じ、押し上げられた屋根から降りて、より安全な場所を求めて、自宅のある丘の方向へ避難しようと走り出しました。しかし津波にのまれた後だったためか、意識が朦朧として体力も弱っていたので、自宅のそばまで帰ったものの、近くのバスケットボールコートの柱にしがみつくのが精一杯でした。その時私は、「この津波で命を落とすことなく、来たる法清寺・妙願寺の御親修に絶対参加させてください」と、心の底から御本尊様に御祈念していました。
 それからどのぐらい時間が経過したかはあまり覚えていませんが、波は静まり、日が射してきました。そして、このような状況の中で、家族のことが心配になってすぐに家に戻りたいと祈っていた矢先、主人が探しに来てくれました。そして、私の家族全員が、御本尊様の御力で災害から守られたことを知りました。
 弱った私を主人が避難所まで運んでくれましたが、食料や飲み物が全く手に入らず、次第に私は熱を出してしまいました。ここにいたのでは病状が悪化すると察した主人は、高額な飛行機代を払い、私をメダンの病院に連れて行ってくれました。診断の結果、肋骨が左右一本ずつ折れていましたが、それ以外には何も問題はありませんでした。
●今回の体験で、何か変わったこと、あるいは得たことがあれば教えてください。
工ルヴィ−夕 津波にのみ込まれたことが、私の心に深い傷となり、目を閉じるたびに、当時周りにいた人々の助けを求める叫び声が、脳裏に浮かびます。それが原因で、津波から約一年間は安心して眠ることができず、しばらくは、テレビや写真で海や波の映像すら見ることができませんでした。
 しかし被災したときに願った、「御親修に参加したい」という強い一念が、私の心の傷を癒してくれました。津波にのみ込まれたときの幸い体験を克服することができたのは、御本尊様への強い一念であると確信して、より真剣に信心に励ませていただいています。
 また、あの経験を通して、私は自分の頑固な性格を治したい、と決意しました。それは、私の頑固な性格が災いして、家族の忠告を無視した結果、津波にのみ込まれ、多くの方々にご迷惑をかけてしまったからです。
 いずれにしても、御本尊様に守っていただいたこの命を無駄にしないよう、自分のできることを見つめ直し、できる限りのことに精一杯がんばっていきたいと思います。
 そして最後に、いつかまたバンダアチェに戻り、かつて一緒に活動してきた信徒と、地元組織の繁栄のためにがんばっていきたいと思います。