平成18年7月16日付

寺院建立にかけた真心の御供養
次は未だ果たせぬ御登山夢見て
  インドネシアにも、日蓮正宗の信仰を根本に平和を祈り、広布を願って純粋な信心に励み、懸命に御供養を続ける信徒が大勢いる。
 今回は、法清寺建立に際し、真心のこもった御供養をされたリム・ユン二オさんにお話を伺った。
●まず自己紹介していただけますか。
ユン二オ
 私は、一九四〇(昭和十五)年にジャカルタの隣のタンゲランで、三人姉妹の次女として産まれました。ウェイターをしていた父の仕事の関係で、一九四五年に家族と共にジャカルタへ引っ越してきました。この年はインドネシアが日本から独立した年であり、経済状況がとても悪く、私は学校に通えませんでした。このため、私は読み書きができません。
●入信の動機を教えてください。
ユン二オ
 十七歳の時に、見合いで主人と結婚し、その後七人の子供を授かりました。主人は、シューマイを売って生計を立てていました。
 私が四十九歳の時、主人は病気で亡くなりました。とても悲しくて、毎日泣いていました。どうやって暮らしていけばよいのか、とても困惑しました。その後、段ボール箱を作る工場で働きましたが、収入は微々たるものでした。
 ある日、私と同じ未亡人の女性が、落ち込んでいる私を見て、「あなたも御本尊様に帰依したほうがよい、幸せになれるから」と話してくれました。私は何も判りませんでしたが、彼女の言葉を信じて、南無妙法蓮華経と唱えたいと思いました。これが私の日蓮正宗との出会いでした。
●入信してどのような功徳がありましたか。
ユン二オ
 最初は、御本尊様を御安置している近所のお宅に、毎日勤行に通いました。そして、様々な活動にも参加するようになりました。
 信心を始めてから、自分自身が強くなり、幸せを感じているのを自覚しました。お金にも因らなくなり、食べ物にも不自由しなくなりました。
 その頃、私は工場での仕事から、サラック(インドネシアの果物)の皮を剥く仕事に転職しました。
 私の子供たちは、高校科程まで終了し、文字の読み書きができます。今は子供たちも働いて所帯を持ち、孫も十八人います。子供たちは全員御授戒を受けていますし、孫も八人が毎月お寺で開かれる少年部会に出ています。
 私の折伏で私の姉妹も御授戒を受けましたが、残念ながら既に亡くなりました。姉は生前「家の血筋で六十歳まで生きた人はいない」と言っていましたが、私は既に六十六歳です。これまで常に、「いつも健康で信心活動に参加できますように」と御祈念してきましたが、その願いが叶ったのだと思います。
●サラックの皮を剥く仕事で得られる収入は、いくら位ですか。
ユン二オ
 一箱分のサラックで三千五百ルピア(約四十五円)です。私は一日に六箱分の仕事ができるので、二万一千ルピア(約二百七十円)稼ぐことができます。
 私は稼いだお金を御仏壇にお供えし、「御本尊様のお金と呼んでいます。このお金を使うときには御本尊様にお許しを請います。「使ってもいいですか」と伺いますと、御本尊様は「いいよ」と言ってくださいます。
●法清寺建立のためにたくさんの御供養をされたと伺いました。
ユン二オ
 私は、「御法主上人猊下に来ていただきたい」、「板御本尊様の前で勤行がしたい」、「お寺というよい環境で、子供や孫たちが勤行・唱題できるようにしていただきたい」、これらの思いから一生懸命御供養に励みました。そして六百万ルピア(ユンニオさんの年収に相当する金額)の御供養を申し上げることができました。私たちが御供養しなければ、お寺を建てることはできないでしょ。でも、私たちは貧しいから、少しの御供養しかできません。お金持ちの人は、もっと御供養してくださいね。
●御供養を通じて、どのような功徳を戴きましたか。
ユンニオ
 私は今度、自宅に二階を増築することができました。一階建てだったときは、洪水があると家の中にまで浸水したので、御本尊様が濡れないよう、御仏壇を担いで移動しなければなりませんでした。でも、御本尊様を二階に御安置できるようになり、洪水の時も心配ありません。とても有り難いことだと感謝しています。
●今後の夢や目標を教えてください。
ユン二オ
 私の少ない所得では夢のような話ですが、一度でいいから御登山したいです。そのためにこれからも、信心を根本に一生懸命に働いて「御本尊様のお金」を貯めたいです。