平成18年1月16日付

 南米大陸の西側、太平洋沿岸に細長く位置するチリ共和国は、日本との時差が十一時間、地球のほぼ真反対に当たる。そのため、日本へは片道三十時間以上の飛行時間を要する。日本との経済格差も加えて旅費の捻出はままならず、長期休暇をとることも難しいため、総本山への御登山は容易ではない。
 そのような中、現在チリには、七十九世帯百九十六名の信徒がいる。その活動は、一九九一(平成三)年の学会問題後、日蓮正宗信徒たる自負を有した数名が、創価学会の過ちに気づき、チリ駐在のブラジル大使館の協力を得て、当時の管轄寺院であったブラジル・サンパウロ一乗寺の住職・磯村如道御尊師と連絡を取ったところから始まる。その後、一九九八(平成十)年、宗務院海外部による南米の管轄地域が、南北ブラジルとスペイン語圏各国に分割され、アルゼンチン布教所が開設されたことに伴い、チリの信徒は当布教所所属となった。
 国民の八十パーセント以上がキリスト教カトリック信仰者であり、折伏弘教は困難を極めるが、一日も早い御僧侶の常駐と布教所の開設、そして南米広布推進をスローガンに、唱題・折伏に励んでいる。
 今回紹介するベロ二力・クスパックさんは、難病克服という自らの体験をもとに折伏を実践し、多くの方を入信に導いている。
●仏法が知られていない国情で、どのような経緯、また動機で入信されましたか。
ベロ二力 
次男を出産した直後、私の従来の病状か悪化し、集中治療室で昏睡状態の日々が続きました。その後、昏睡状態からは覚めたものの、以前信仰していたカトリックでは病状は改善せず、病気は重くなる一方でした。
 そうした折、子供たらが通う学校に勤務していた婦人より初めて日蓮正宗の教えを伺いました。しかし、そのときは入信を決意できませんでした。
 その後、私に自然療法の治療を施してくれた力も、偶然にも日蓮正宗の信徒で、その方からも折伏を受け、私は仏法との不思議な巡り合いを感じたのです。そして、最初に折伏してくださった婦人を訪ねて入信すると、病状はみるみるよくなっていきました。これが入信の経緯と初信の功徳でした。

●普段どのように折伏活動をされ、またどのような点に苦労されますか。
べロニカ
 私は普段から弘教用パンフレットを持ち歩き、誰にでも仏法のお話をするように心がけています。そして、その方が一日も早く入信できるよう御本尊様に御祈念申し上げ、会合へも誘い、メンバーの信仰体験や日蓮正宗の歴史、教えを聞いてもらいます。
 時にはインターネット上で折伏も行います。遠方に住む方々には、教材をメールで送るようにしています。
 国民の大半がカトリック教徒で、仏教と全く異なる教えですから、皆はじめは興味を示しますが、創造神を認めないことを知るとすぐに離れていってしまいます。こういうときには、日本の法華講員の方々の環境をうらやましく感じることもあります。しかし、このような難しい中で折伏活動を持続することで、自らの我見を取り払うことができると感じています。
 また、他人に対して寛容になることができましたし、忍耐力もつき、他人の立場に立って物事を考えることができるようになりました。何より人間として成長できたと思います。
●これからの具体的目標と「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向けて、またはその慶祝記念登山に向けて、どのような活動を行っていきたいと考えていますか。
ベロ二力
一九九八(平成十)年、私は母と共に「第二回海外信徒総会」へ登山させていただきましたが、そのときのチリからの登山者は二人だけでした。その登山では、本門戒壇の大御本尊様への御内拝、御法主上人猊下への御目通りが叶い、また御僧侶方や日本の法華講員の方々のご厚情に触れる機会に恵まれ、すばらしい体験を積むことができました。このときの御開扉で私は、二〇〇二(平成十四)年には、チリから五名以上で登山させていただくことをお誓いし、実際には八名での登山が叶い、お約束を果たすことができました。
 私の現在の最も大切な目標は、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の慶祝記念登山に参加させていただくことです。随分前からお金を節約し登山費用を貯めております。そして、まだ登山していないチリの同志に対し、共に登山できるよう励ましており、二十名での登山を目標としています。
 また、私たちチリの信徒は、学会を脱会して以来、布教所の開設と御僧侶の常駐を目標としてきました。大聖人様の教えから逸脱せずに生涯信仰を貫き通すためには、御僧侶から御法話をお聞きして私たちの信行学を深め、折伏への意欲を沸き立たせていただける布教所と御僧侶は必要不可欠だからです。私たちチリの信徒一同は、一日も早く御僧侶がこの地に常駐してくださることを心から願っています。