平成17年11月16日付

 ワシントン州は、全米五十州のうちで二十番目の広さを持ち、その面積は日本の半分に当たる。人口は約六百万人、首都はオリンピアである。
 成田空港から州内のシアトル・タコマ空港まではおよそ八時間半。暖流の影響で気候は穏やかで、常に緑が生い茂っているため、「エバーグリーンステイト」と呼ばれている。
 今回は、ワシントンの州都オリンピアの北に位置するタコマ市在住のタコマ地区長のデヴィッド・ティルプリーさんにお話を伺った。現在シアトル・タコマ地域には百二十七名の妙信寺所属の信徒がおり、毎月各地区長が中心となって御報恩御講・広布唱題会をはじめ、様々な活動をして、地域広布のために邁進している。
●デヴィッドさんはいつ入信されたのでしょうか。
デヴィッド 私が初めて御題目を唱えたのは一九七〇(昭利四十五)年の春、二十一歳のときでした。その頃は立川や横浜の米軍墓地で空軍の任務に当たっていました。御授戒、御本尊様を国分寺市の大宣寺で御下付いただきました。

●日蓮正宗を知ったきっかけを教えてください。
デヴィッド 私の入信動機は、少し変わっていると思われるかもしれません。
 当時、私は、日本人の女性・馬場薫さんとお付き合いしていました。そこには言語、家族、文化、宗教等の厚い壁はありましたが、私はこの女性こそ自分の残りの人生を一緒に過ごす人だと信じておりました。
 ある日、彼女の姉が一生懸命に御題目を唱えている姿を見ましたが、そのときは、彼女が何のために、何を唱えているのかさっぱり判りませんでした。私は、何を唱えていたのかよく知りたかったのですが、私は日本語がよく話せなかったためにうまく話が通じず、知ることができませんでした。

●入信を決意された経緯を教えてください。
デヴィッド しばらくして、私は薫さんにプロポーズしましたが、彼女の答えは「ノー」でした。何度も願い続けたのですが帰ってきた答えは「ノー」はかりでした。
 しかし、私の強い願いに彼女が折れたのか、彼女から、まず彼女の父親に会うようにと言われました。私はこの女性と一緒になれるなら何でもしようと思い、父親の馬場善治さんに結婚の許しを得に行くことになったのです。そして善治さんは、「一つ条件がある。君が日蓮正宗の信仰を始め、御本尊様を受けなければならない」と言いました。私はすぐに入信を決意し、その日からたくさんの講員や友人の支えを得て、正座の仕方から勤行、お寺の参詣など、日蓮正宗の信徒の基本を学び始めました。そして御授戒を受け、晴れて結婚も許されたのです。

●結婚後、家族の信心活動はどうだったのですか。
デヴィッド 日蓮大聖人が、
「受くるはやすく持つはかたし」(御書 七七五頁)
と仰せられるように、一九七三(昭和四十八)年、妻と私が日本を離れ、私の実家のある、ミネソタヘ戻った後、信仰を続けたのは妻だけでした。
この地域には日蓮正宗の寺院はなく信徒もいませんでした。また、私は日々の勤行と唱題の大切さを理解していませんでした。
 ある日、私が長時間の勤務を終えて家に帰ったときのこと、妻は御本尊様の前に座り同時間もの間、題目を唱えていました。
 私は怒り、妻に対して「おまえは、御本尊様と私と、どちらが大切なんだ」と言いました。すると彼女は「もちろん御本尊様です」と言ったのです。
 私は、この言葉を聞いたとき「はっ」としました。信仰に対してもっと真剣にならなければならないと気づき、それ以来、妻と共に真剣に修行に励むようになりました。
 その後、別在の居住地タコマに引っ越しました。家の近くには創価学会の会館があり、毎週長男のティムを連れて通ったものです。
 一九七六(昭和五十一)年、二千キロほど離れたロサンゼルスの妙法寺に車で出かけ、そこで帰国以来初めて日蓮正宗の御僧侶・坂田正法御尊師にお会いできたのです。
●ちょうどそのころ創価学会による教義逸脱路線(五十二年路線)が始まりましたが、その影響はありましたか。
デヴィッド 創価学会の影響はアメリカでもたいへん強く、その謗法行為に、私たちは創価学会に対して不信を抱きました。日蓮大聖人の正しい教えの通りに修行したいのですが、どうしたらいいのか判りませんでした。
 このとき、カナダのバンクーパー、シアトル市、タコマ市の複数の信徒と共に、短い間でしたが、正信会で信仰をしてしまったのです。私は正信会の会合に参加するのみならず、日本の正信会寺院へ参詣するという謗法を重ねてしまいました。
 その後、個人的な問題や金銭問題を抱えていた頃、かつての同志から日蓮正宗に戻るようにと勧められ、一九九二(平成四)年三月、妻と三男のダンと私は東京へ行き、勧誡式を受けました。短い日本での滞在の後、私たちはサンフランシスコの妙信寺を紹介されました。
 それ以来、私たちは妙信寺法華講員として誇りを持って活動ができるようになりました。

●タコマから妙信寺までは千二百キロほどの距離がありますが、寺院参詣はどのようにされていますか。
デヴィッド 車では時間がかかり過ぎるので、片道約二時間の旅客機を使います。一年に三、四回、妙信寺の法要に参加するために、サンフランシスコ近くのホテルに一、二泊して参詣しています。妙信寺に参詣することは簡単ではありませんが、それだけに妙信寺本堂の御本尊様を拝させていただける福徳を感ぜずにはいられません。

●タコマ地区での活動についてお聞かせください。
デヴィッド 地区では、毎月の宅御講をはじめ唱題会、折伏座談会、家庭訪問をしています。正法弘通の活動において、妙信寺御住職・木村正弘御尊師との連絡、信徒間の連絡は、たいへん重要です。御住職がタコマへ来てくださったときには、できるだけ多くの信徒宅を御住職と共に訪問し、激励するように心がけています。

●今後の決意をお聞かせください。
デヴィッド 現在、日蓮正宗は「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の地涌倍増の結集を目標に前進しています。
「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(同一一六九頁)
との御金言を胸に、今生に生を受け大御本尊様に巡り値えた福徳を心より感謝申し上げ、一生を空しく過ごすことなく、世界広布のため、御法主日顕上人猊下の御指南、御住職の御指導のもと、日々の唱題と折伏行に邁進していきます。