平成16年11月16日付

  東台布教所は二年前の二〇〇二年六月二十三日、台湾東部信徒の信心の拠点となるべく宜蘭県の中心都市である宜蘭市と羅東鎮のほぼ中間地点に設立された。それまでは信徒分布の関係上、西側のみに寺院布教所が建立されてきたが、同布教所の設立によって、地元信徒の布教に対する熱意も徐々に向上しつつある。今後、本年中には寺院として新しい布教の第一歩を踏み出すことになっている。
 東台布教所の管轄する地域は宜蘭県と花蓮県で、所属する約九百名が宜蘭支部・羅東支部・花蓮支部の三支部に分かれている。
 そこで今回は、宜蘭支部頭城・礁渓地区の地区長の邸徳村さんにお話を聞いた。この地区は、昨年今年と二年続けて折伏目標を達成し、邸さん自らも信徒の激励や折伏に励んでいる。
●まずはじめに入信の動機を聞かせてください。
邸 私は、他宗教の家に生まれ育ちました。
 一九八三年には二人の子供に恵まれ、たいへん幸福な家庭の父親でした。ところが、その二年後の八月、次男のお顔が非常に張って排泄物が出なくなったため、台北の馬偕病院に連れて行きました。この病気は治りましたが、その翌年の四月、今度は、次男は両足が曲がったまま伸びないという原因不明の病気にかかってしまいました。
 この病気を治すために、近くだけでなく北部から中南部にかけての大きな病院にも連れて行きましたし、いろいろな寺院へも行きましたが、治りませんでした。私たち夫婦は落ち込みました。
 この頃、家内は一番上の義姉の折伏によって、毎週水曜日と金曜日の夜に、友人の所へ唱題行に行くようになりました。その間、私が二人の子供を二階の書斎で見ていました。そして家内は、帰宅すると三階の何もない部屋で、東に向かって唱題していました。書斎にいた私には、唱題の声だけが聞こえてきました。まだ日蓮正宗のことを知らなかった私は、家内がおかしくなったのではないかと心配しました。
 そのうち家内が私に「一緒に唱題しましょう」と声をかけるようになりましたが、私は必ず不機嫌な顔をしたそうです。
 ある日、家内が「三階の電灯がつかなくなったので、二階の書斎で唱題をしてもいいですか」と私に聞いてきました。私と二人の子供は愕然としましたが、私は、子供たちの前では母親としての尊厳を与えなければならないと思い、黙って同意しました。
 しかし家内はそれだけでは気がすまなかったようで、私に「一緒に題目三唱をしてください」と言いました。私は仕方なく正座をして、題目三唱しました。家内は、「唱題することで子供の病気がよくなるのです」と言いました。私は、病院と医者は意味がないのかと言い返そうとしましたが、少しでも子供のためになるのならと思い、唱題するようになりました。
 しばらくすると、家内は私に「家に御本尊様を御安置したい」と言いました。しかし、御下付していただくためには、勤行できるようにならなければならないとのことでした。私は、子供のためなら何でもしようと思い、わずか二週間で勤行ができるようになり、翌月には家族全員で総本山大石寺へ登山をし、大願寺で御授戒を受け、御本尊様を御下付いただくことができました。
 御本尊様を護持していく中で、経済や生活全般、子供の勉強にいたるまで、すべてのことがよい方向に転換し、次男の病気も手術後次第に回復に向かい、今では立派に広布の人材に成長いたしました。
●邸さんが地区長をしている頭城・礁渓地区は毎年折伏成果がよいようですが、どのような地区活動を心がけていますか。

 頭城・礁渓地区は信徒数百三十八名、四つの組に分かれています。毎週金曜日と日曜日の二回、信徒宅を順番に回って唱題会をしています。唱題会後は、全国会議での内容報告、布教所での服務(諸役)の打ち合わせ、折伏の進行状況報告、信徒の激励などを行います。その中から新しい下種先を見つけ、日時を決めて折伏に行きます。このような活動をするうちに、自然と一人ひとりの信徒が広布の人材に育っていきます。
 また台風や地震などがあれば、必ず信徒宅に電話を入れ、安全の確認をします。そのような気配りによって、次第に地区活動への参加人数も増え、折伏の機会も増えてきました。その結果、毎年折伏目標が達成できるようになりました。

●台湾で折伏をする場合、 どのような障害がありますか。
邸 それは、ありすぎて数え切れないほどです。なぜかというと、台湾には廟(びょう)と呼ばれる邪宗寺院がたくさんあり、それらに由来したお祭りや祝い事がとても多いのです。その影響を受けている人々を変えることは非常に困難です。ですから折伏をするときは、怒られることを覚悟で相手の宗教をしっかりと破折します。
 また御授戒を受けさせた後、新入信者をどのように世話すべきか知らない人もおり、入信後、意欲的に御講や指導会、地区の活動に参加する人は多くありません。一人ひとりを丁寧に導いていくのは非常に労力のいることです。

●今までの折伏の中で、強く印象に残っていることは何ですか。

 そうですね、一番印象に残っているのは去年折伏した趙さんです。この方は公務員で、同僚から身に覚えのない偽造文書の罪で告発され、一審で懲役一年六カ月の有罪判決が出てしまいました。様々な神仏にお詣りしても解決せず、途方に暮れていることを知り、折伏を決意しました。私の折伏に、彼は素直に話を聞き、数日後、一緒に布教所に参詣して御題目を唱えました。その結果、第二審、第三審では無罪判決を獲得し、一家そろって御授戒を受けることができました。

●折伏後の育成はどのよう にしていますか。
邸 入信後は、自分の意志で寺院に参詣し、御僧侶の御指導を受けるのが一番重要です。
 具体的には、まず金曜日と日曜日の唱題会のときに近くに住んでいる信徒を呼んで激励をします。また法要や活動の際には信徒一人ひとりに事前に参加できるかどうかを聞いて調べるようにしています。
 さらに老人や体の不自由な人に対しては、事前に人数を調べて車で送迎し、その往復の車中で信心の話をするなどして、少しでも多くの人が喜んで参加できるよう心がけています。
 最近では徐々に出席率も高くなり、育成の成果が現れてきていると思います。

●今後の折伏に対する決意を聞かせてください。

 法華講員の折伏は大聖人様の御遺命であり、どのような事態に対しても畏(おそ)れることなく勇敢に立ち向かわなくてはなりません。一番大切なのは自分自身が御本尊様の大功徳を確信することです。
 東台布教所責任者の佐藤信俊御尊師の御指導のもと、今後の折伏に対して以下三項目の決意を述べます。

一、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の大佳節に向かって、法華講衆倍増を達成すること。
二、異体同心の精進で毎年の東台布教所の折伏目標を達成していくこと。
三、御法主上人猊下の「一年に一人が一人の折伏」との御指南を実践していくこと。
 そしてなによりも、東台布教所の寺院昇格の大慶事をめざして、今年も折伏目標を達成し、異体同心して精進してまいりたいと思います。