平成16年7月16日付

キリスト教社会の中、親子三代に信心築く
アーサー・ウィットニーさん
  妙信寺はサンフランシスコ郊外のピノール市に一九八四年六月に建立され、今年二十周年を迎える。
 カリフォルニア州の北部・ネバタ州の北部・オレゴン州・ワシントン州・アイダホ州・モンタナ州・アラスカ州の七州とカナダ西部という非常に広大な範囲を管轄している。そのため、御僧侶が各地のメンバー宅へ出張できる回数も年間に数回と限られてしまう。遠隔地に住むメンバーは、ややもすれば疎遠になりがちである。
 しかしそんな中、先日の支部総会の折には、カナダのカルガリーのメンバーが、バンクーバーまで車下十一時間かけて移動、さらに飛行機で国境を越え、妙信寺に参詣した。
 今回は、妙信寺信徒を代表して、講頭であるアーサー・ウィットニーさんに話を聞いた。
●ウィットニーさんが入信したのは、いつですか?
ウィットニー
 私は、一九六五年の十二月、二十二歳のときに初めて日蓮正宗に出会い、翌年、総本山大石寺に参詣した折に、御授戒を受けることができました。

●アメリカ合衆国はキリスト教の影響が非常に強く、入信した四十年前ともなれば仏教を信仰する方は稀だったようですが、そんな中、ウィットニーさんはどうして入信を決意されたのですか?
ウィットニー
 私は、生まれたときから心臓に穴があいており、「なぜ自分だけがこんな体で生まれてきたのだろう」と小さい頃から感じていました。そのため常に不安を招いており、あるとき心臓から異常な音がすると感じたので、そのことを医者に伝えましたが、「それは心臓の病気からくるものではなく、精神的なものであり、命には別状はない」と診断されたことがありました。
 十二歳の頃から本当の答えを見つけるため、神に助けを求めようとキリスト教の書物を読み、教会にも通いましたが、答えは見つけられませんでした。
 そんなことを十年続けた末に出会ったのが、日蓮正宗であり、初めて御題目を唱えたとき、私は歓喜に満ち溢れ、「私が求めていた教えは、これだ」と感じ、その場で入信を決意しました。

●あなたは、お子さんもお孫さんも日蓮正宗の信仰をしていますが、法統相続をするために何をしてきましたか?
ウィットニー
 妻と私は子供が生まれたときから、勤行・唱題をするときには必ず子供たちを御本尊様の前に座らせるようにしていました。
 また彼らが言葉を話し始めるようになると、すぐに御題目を教えました。私たちが会合に行くときには必ず連れていき、彼らに問題が起こったときには御本尊様の前で御題目を唱えるように激励しました。
 私たちは今、孫のオーウェンに同じことを教えています。オーウェンが生まれたとき、分娩室で最初に聞いた言葉は、私たちが唱えた「南無妙法蓮華経」でした。妻と私にとって子から孫へ大聖人様の仏法を伝えられることは、最高の喜びです。
 今では親子三代で毎月の御報恩御講等に参詣させていただいています。

●どのようにして大聖人様の仏法を弘めていますか?
ウィットニー
 私は、仕事の関係上、多くの人に会う機会に恵まれ、その縁をきっかけに大聖人様の仏法を伝えるよう、日々努めています。
 大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
「当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書一三一六頁)
と仰せであります。この国には熱心なキリスト教徒が多いため、すぐに入信することは非常に難しい状況ですが、この御金言を拝して、あきらめずに折伏を続けています。

●最後に、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向けての決意を聞かせて下さい。
ウィットニー
 今年の支部総会の折、御住職・木村正弘御尊師より、講中が異体同心の精神のもと、以下の三つを朝夕の勤行・唱題の折に御祈念するようにと御指導がありました。
一、来るべき「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の大佳節にあたり、地涌法華講衆倍増の結集を名実ともに、達成せしめたまえ。
二、御法主上人猊下御指南の「一年に一人が一人の折伏」を、自他ともに、互いに成就なさしめたまえ。
三、妙信寺信徒の折伏誓願目標を、異体同心の精進をもって、達成せしめたまえ。
 今、私たちの講中は異体同心の御題目を唱えつつ、同じ目標に向かって前進しています。
 私は、必ず以上の三つの誓願を貫徹し、一生涯にわたって日蓮正宗の正しい信仰を貫き、また折伏に励むことを誓います。