平成16年6月16日付

 中台布教所は、五年前の一九九九年、中部台湾の信徒の中心拠点となるべく、本興院の中台分院として設立され、翌二〇〇〇年、布教所に昇格した折、常駐責任者として長沢正奏御尊師を迎えて、現在の布教体制を整えてきた。その後は毎年、早期に折伏目標を達成し、そして確実に、人材の発掘・育成にと力を注いできた。
 その甲斐あって、熱心な折伏による信徒増加のため手狭になった布教所から、新たに広い布教所に移転し、本年三月七日、移転法要を行うことができた。
 今もなお、信徒の一人ひとりが個々に高い目標を定め、「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かい、また、中華民国・台湾の広布をめざして精進している。
 今回はその中にあって、特に折伏に顕著な成果をあげ、また組長(日本の法華講支部で考えると班長)としても励んでいる、葉美菁さんにいろいろとお話を伺った。
●葉さんはどのようなきっかけで、いつ頃入信したのですか。

 私は、一九九六年に主人を亡くし、また自分自身も甲状腺ガンを患っていて、六人の子供をどうやって養っていこうかと、とても苦しんでいました。
 そんな時にある人から折伏を受けたのです。短い時間でもいい、三分でもいいから御題目を唱えなさいと言われ、はじめは病気で苦しかったのですが、すがる思いで唱えました。そうしているうちに、御題目を唱えることに歓喜の念を覚え、自然に一時間でも二時間でも唱えられるようになりました。いつしか体も改善に向かい、子供たちまでもが明るくなってきたのです。
 そこで、この信心は他の教えとは違うと確信し、翌一九九七年に御授戒を受けました。
●御授戒を受けた頃はまだ台中市に布教所も事務所もありませんでしたが、どのように活動していましたか。

 当時、台中市には御僧侶がいらっしゃらず、台北にあった台北事務所だけでした。ですから何か法要があるときには、地域の信徒みんなでバスに乗り合わせ、五時間ほどかけて台北事務所に参詣していました。
●葉さんは普段から折伏に真剣に取り組んでいますが、折伏に対して何か心がけていることはありますか。

 これと言ってありません。
 ただ御法主日顕上人猊下が、「一人が一人を折伏」と御指南くださることを肝に銘じて、常日頃からの御尊師の御指導をかみしめながら、一人でも多くの人に妙法を伝えたいという思いから、自然に日蓮正宗の話をし、折伏しているだけです。
●昨年には二十二名もの縁故者を折伏されましたが、そのあとの育成はどうしているのすか。

 もちろんしています。よく、御授戒は受けたけれどそのあと全く活動に参加しないという人がいると聞いていますが、それではいけません。私は、自分が折伏した人には責任を持って常に連絡を取っています。もちろん、色々な理由を言って活動に出ない人もいますが、それでも連絡を続けます。とても悔しいのは、私が車を運転できないことです。折伏した人たちを車に乗せて一緒に活動に行くことができません。ですからその分、連絡を取り、またそれらの人たちが正しい人材に育っていくように、日々御本尊様に御祈念しています。
●葉さん自身、組長という役職も担っていますが、そのほかに数多くの折伏した人たちの面倒も見なければならない。この両立をしていくことの苦労はありませんか。

 組長という役職も、折伏した人たちの面倒を見ることも、苦労と感じたことはありません。逆に御本尊様のために御奉公できることの喜びを感じます。ただ、御本尊様のためにも、お寺のためにも、自分の組を一層盛り立てながら、折伏した人たちの面倒を見なければいけないという責任の重さは感じています。
●これからの目標を教えてください。

 「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かって、さらに折伏に邁進し、一人でも多くの人にこの仏法を伝えていきたいです。また同時に、自分自身も正しい信心をもっともっと身につけていきたいです。
●最後に、日本の法華講員の方々に対して、何かメッセージはありますか。

 日本で信仰できる方々がうらやましいです。何と言っても総本山が近くにあり、いつでも御登山でき、御法主日顕上人猊下の御指南を直に拝聴することができます。私も機会があればなるべく御登山するようにしていますが、限度があります。私の家は、山の麓に位置していて、車の運転もできないので、毎日のようには布教所に行けません。しかし、中台布教所責任者の長沢御尊師は、決して苦労を顔に出されず、このような場所に毎月指導会に来て、様々な御指導をしてくださいます。そういった御恩にお応えするためにも、経験豊富な日本の法華講員の方々から機会ある度に、いろいろなことを学んでいきたいと思っています。特に、寺院外護、御供養の精神、そういったものを交流会または御登山の折などに学んで、自分のものにして、日本の法華講員に少しでも追いつけるように、信心していきたいと思っております。