平成16年5月16日付

 一九九二年、辻律子氏ほか六名の脱会より十二年。
 その間、一九九五年SGIフィリピン総支部長を中心とする約七十名の大量脱会、一九九七年現地法人「日蓮正宗フィリピン仏教会」認可、二〇〇二年フィリピン事務所設立、御僧侶常駐と、フィリピンにおける広布の進展は目覚ましい。
 張り巡らされた人脈と、強固な家族の連環で構成されているフィリピン社会の中で、人口の九割を超えるキリスト教(ほとんどがカトリック)の影響から脱却するのは想像以上に困難である。反面、家長がいったん決意すると、一族郎党、住み込みのメイドや運転手に至るまで改宗となる。一度に大勢が御授戒を受けることが多いのはそのためである。
 信徒の分布は、事務所のあるルソン島・マニラ首都圏、近郊のプラカン州を中心に、マニラから飛行機で一時間南下するセブ島、パナイ島、さらに南のミンダナオ島と、フィリピン全土にわたっている。
 事務所から約四、五十キロの近郊州といっても、アジアでもっともひどいと言われる大渋滞と、一年を通して容赦なく照りつける太陽が参詣を阻む。しかし、広布唱題会、御報恩御講へと、片道三時間以上の道のりをものともせず、ジプニー(乗り合いジープ)やトライシクル(乗り合いサイドカー付オートバイ)を乗り継いで多くのメンバーが参詣する。
 今回紹介するシェリル・サブラオンさんは、ブラカン州在住で、少年部長として多くの人望を集めている。これからのフィリピン広布の人材として将来を嘱望される青年部の中心的人物に話を聞いた。

●まずは入信の動機について教えてください。
シェリル
 私が五歳のとき、家族と共にSGIに入会しました。物心ついた頃には既に、近所とは全く違う信仰をしていたということです。

●人口のほとんどがカトリック教徒の中で、この信仰を続けるのはたいへんではありませんか。
シェリル
 はい、非常に困難です。どこの家にもキリストの像やマリアの絵が飾ってあり、それがないとバランガイ(五十〜百世帯の集落からなる最小単位の地方自治体。税の賦課徴収などの行政事務権能、執行機関、議会を有する)の人たちから奇異な目で見られてつまはじきにされてしまいます。しかし、それでも両親は謗法厳誡を固く守ってきました。おかげで私はキリスト教に縁することなく成長できました。

●脱会のきっかけとなったのはどんなことですか。
シェリル
 一九九五年に家族揃って脱会しました。幹部の指導がそれまでとは百八十度変わってしまい疑問を持っていたときに、総支部長だったエディ・セラノさんの脱会の話を聞いて決意しました。

●二〇〇二年に御僧侶の常駐が実現しましたが、その前後の違いについてお聞かせください。
シェリル
 資料や出版物から得られる知識には限界がありますし、時間が経つと忘れてしまいます。脱会時の感動も薄れがちになり、信行が亀の歩みのようにゆっくりとしたペースになっていました。
 しかし御僧侶が常駐するようになってからは、のろまな亀に羽が生えたようです。事務所があることで安心して活動でき、いつでも御指導いただけるのは、本当に有り難いことです。常に新鮮な気持ちで信心ができます。
 また、これまで「こんな意味だろう」と思っていたことが、御僧侶のお話を聞いて、理解が浅かったり、間違いだったことに気づかされます。

●例えばどんなことがありますか。
シェリル
 「折伏」を単純に、「信心する人を増やすこと」と教わってきましたが、実は、「折って伏す」という非常に厳しい意味が込められていることを知り、たいへん驚きました。

●折伏を実践する上で困難なことは何ですか。
シェリル
 フィリピン人は他人との争い事を極端に嫌います。特に宗教のことで相手を攻撃すると白眼視されてしまうので、いきなり「あなたは間違っている」とやりはじめたら破壊教団と見なされてしまうでしょう。
 ただ、多くの人が宗教に関する話題にはきちんと耳を傾けてくれます。仏教についてほとんど知りませんが、とても興味はあるようです。最初は、キリスト教と仏教の違いについて丁寧にお話するようにしています。

●少年部長として心がけていることは何ですか。
シェリル
 子供たちにはいつも、日蓮大聖人様の仏法で説かれる「恩」を教えるようにしています。

●今まで信仰していて一番嬉しかったことは何ですか。
シェリル
 宗旨建立七百五十年慶祝記念海外信徒総登山に参詣させていただけたことです。特に御開扉では奉安堂の一番前の真ん中に座ることができ、間近で戒壇の大御本尊様を拝したときには、七百五十年さかのぼって日蓮大聖人十年さかのぼって日蓮大聖人様がそこにいらっしゃるような、不思議な感覚になりました。今まで味わったことのない感動でした。総会では、フィリピンメンバーを代表して共同宣言に参加できたことも忘れられません。
 もう一つ大きな体験があります。昨年九月に三名の御僧侶が海外部から派遣されていらっしゃったときのことです。実はそのとき私は、胸に悪性腫瘍ができ、乳ガンの治療を受けなくてはならない状態だったのです。私の異変を察知された山澄信玉御尊師(フィリピン事務所責任者)が心配してくださいましたが、私は、いろいろなことを学ぶチャンスを無にしたくないとの思いから、病気のことを内緒にして、御僧侶方と行動を共にしました。
 その後も十一月のフィリピン総会の準備のため休んでいるわけにはいかず、自分自身を励まして活動しました。三障四魔に打ち勝つチャンスだと思いました。
 その結果、総会の直前に受けた診察で、腫瘍が跡形もなく消えていたのです。「奇跡だ」と喜ぶ弟に「これは世間の人が言う『奇跡』ではないよ。それ以上のものだよ。日蓮大聖人様はこうやって私たちの人生を変えてくださるんだよ」と教えてあげました。

●フィリピン広布に対しての抱負をお聞かせください。
シェリル
 まずは一日も早くお寺を建立することです。
 それから、メンバーを率いるリーダーが、フィリピン人の中から現れることを祈っています。これがフィリピン広布への一番の近道ではないかと考えています。
  ◇   ◇
 この日、「事情があって御誕生会に来られないので今日はその代わりにお参りしました」と、妹さん親子を連れて三時間かけて参詣されたシェリルさん。「あなたこそリーダー候補の一人ではないか」と水を向けると、はにかみなと水を向けると、はにかみながら「そのように努力します」と応えた。青年部にこのような方々がいればこそ、フィリピン広布の道は明るい。