宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
三門―意義と歴史―【第9回】 
 
三門改修と修繕の歴史D

日達上人の改修 
全面的な洗浄と塗り直し

 昭和三十年代、日本が高度経済成長期に突入するのと時を同じくして、本宗は全国で目覚ましい折伏戦を展開し、信徒が急増しました。
 総本山第六十六世日達上人は、登山参詣者の利便性に配慮して諸堂宇の改修に着手されます。
 そうした動きの中で、大石寺の歴史的・文化的意義が、広く宗門内外に認知され、昭和四十一年に五重塔が国の重要文化財に、御影堂と三門が静岡県の有形文化財に指定されました。
 日達上人はその他にも、三門周辺の利便性と景観向上に尽力され、昭和三十七年五月に参道石垣積改修と三門周辺の整備、昭和四十八年には総坊北側広場の整備などの事業を行われました。
 さらに昭和五十年には、昭和時代に二度目となる三門補修工事を実施されました。この時の工事は外部の全面的な洗浄・塗り直し、飾金具の付け替えなどが三カ月にわたって行われ、十月一日に完成し、その輝きを取り戻しました。この昭和五十年の補修工事を担当した渡会建築の棟梁・渡會辨治氏は、青木保男氏(明治後期より昭和初期の棟梁である青木守高氏の養子で棟梁。本紙一〇三〇号「三門−意義と歴史−【第七回】」を参照)の弟子に当たり、後に大石寺総代を務められました。

日顕上人の整備事業
東海道随一に相応しい景観に


 昭和五十四年七月、日達上人の御遷化に伴い、総本山第六十七世日顕上人が御登座されました。日顕上人は、日達上人の御遺志を継いで総本山の整備と、国内のみならず、世界各地の末寺建立に尽力されました。
 大石寺開創七百年の記念事業の一環として、昭和六十三年三月に三門西通路(三門前の道路から西塔中へ通じる通路)が開通、平成二年十月には、三門周辺の道路整備が竣工・開通し、三門東側交差点に信号機が設置され、翌平成三年十一月には、三門南側の国道を横断する「清閑洞」が開通しました。また平成十七年三月には宗旨建立七百五十年慶祝記念事業の掉尾を飾る、国道四六九号の付け替え工事並びに潤井川架橋工事が完了し、「龍門橋」が開通したことで三門東側一帯も整備され、三門から大石滝と富士山を望む、現在の壮大な景観になりました。

御法主日加上人猊下
初めての全面解体


 平成十七年十二月、先に日顕上人から血脈相承を承けられた総本山第六十八世御法主日如上人猊下が御登座されます。
 日如上人猊下は大折伏戦の陣頭指揮を執られると共に、塔中坊の新築、御影堂の大改修など総本山の整備を推し進められました。
 また平成二十三年五月には、かねてより整備を進めてこられた龍門橋北側の庭園を「妙祇園」と命名され、三門付近から大石滝・龍門橋・富士山が見渡せる、見事な景観が調えられました。さらに平成二十六年六月、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局が発足し、その記念事業の一つとして、「総本山三門大改修、五重塔・諸堂宇修復工事及び関連事業」を行うことが決定しました。これは将来発生が想定される南海トラフ巨大地震に備えて対策するための事業でもあります。そのうちの五重塔については、去る平成二十九年一月に完了し、修復完成法要が奉修されました。その他の諸堂宇についても、鬼門・二天門など着々と修復・改修、整備が完了しています。
 今回の三門大改修は、建立以来約三百年の中で初めて全面解体しての工事であり、平成二十七年四月の着工より五年余りの工期を経て、本年十二月に周辺整備も含めて完了することをめざして、着々と工事が進んでいます。