宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
三門―意義と歴史―【第6回】 
 
三門改修と修繕の歴史A

日霑上人の修繕(二回目)

明治二十二年


 二度目の修繕は、現存する日霑上人筆の「棟札」によって、文久二(一八六二)年の吹き替えから二十七年後の明治二十二(一八八九)年に行われたことが判ります。また同棟札には、日霑上人が三度目の御登座であることや年齢が七十三歳であることも認められています。
 三門を修繕するに至った原因について『日霑上人伝』の明治十八年の項には、
「前年来風損営繕の箇所大破荒壊、山門大破損」
と記され、また『富士年表』には翌十九年十一月に、
「大石寺三門 暴風により被害」(富士年表 三七〇n)
とあります。これらの記述から、三門は当時、総本山を襲った猛烈な暴風によって破損し、木工事を伴う大規模な修繕が必要な状況であったと考えられます。
 日霑上人は、この三門の状況を書状(妙寿日成貴尼宛)に、
「山門之大破ハ中々甚だしく、暫時も捨て置きがたい」(諸記録)
と吐露されています。
 また、建物の破損は三門に限ったことではなく、日霑上人の別の書状(松本嘉三郎宛)には、
「去りながら、目今、当山の景況、諸堂宇坊舎とも強く荒れ果て、殊に御堂、山門、方丈、客殿等の雨漏りは夥しい事にて、このまま捨て置き候ては中々不容易朽腐出来致すべきとの事にて、甚だ心痛罷り在り候え共、何分にも日々の取り続きにも差し支え候折からにて営繕方行き届きがたく、殆ど長大息罷り在り候」(諸記録)
と、御影堂や客殿などの諸堂宇も破損し雨漏りをしていたことが判ります。
 天災による被害もさることながら、廃仏毀釈という仏教破壊運動が盛んな時代に正法を護持・弘教することは、正しく身命を賭すものでありました。

日霑上人の御巡数

 日霑上人は同じ書状に、
「老身に及ばずながら自ら東西に奔走し、有志者の浄施を募り、その多少に応じ漸々にも営繕を差し加え事の成就の上にて辞職致すべきと発願致し居り候の条、左様の御休意給うべく候。併し老少不定は素よりのこと、半身は葬穴に埋もれ候身途に斃れ候こともこれあり候はば、それまでのこととして、先ず当秋は尾州より京大阪丹羽備前四国西国等を巡廻し、明春は早々にも東京へ出で、それより奥筋へと存じ候えども、明日のことは鬼の笑いぐさ」(諸記録)
と記されているように、日本各地の信徒に諸堂宇修繕の浄財を募るために、古希を迎えられた御身に鞭打って、巡教する御決意をされたのです。
 当書状の文面からは、諸堂宇の修復を最後の御奉公と定められた日霑上人の、必ず成し遂げるという並々ならぬ御熱意が伝わってきます。巡教先は、北は東北、南は九州・四国と広範囲に及ぶものでした。現在のような自動車や電車のない時代にもかかわらず、日霑上人は予定通り各地に赴かれたことが他の記録から判っています。
 この巡教が実られて、明治二十年九月下旬頃には、
「山門営繕に取り懸る諸職工大凡四拾余人日々混雑す」(日霑上人伝)
と、三門修繕の目途がついたようです。
 そしてついに、明治二十二年一月一日、元日の太陽が煌々と照らす中、三門修繕落成法要が奉修されました。
 当日、御隠尊の総本山第五十五世日布上人は、
「爰に御法将日霑上人師御高徳に依って御再任已来、諸御請、殊に大望三門の御普請落成、引き続き大坊仮中庫裏御再建。この程成功に付き、両様開眼供養の法味を捧げんが為、寺檀和合自他群集の参拝。広くは門流遠近真俗の大悦。是れ則ち大法繁栄広宣流布の一助ならんと有難く奉祝」
と述べられています。
 日霑上人は三門の修繕のみならず、大坊の庫裡の再建にも着手されていたのであり、当日の落成法要は、大勢の僧俗の喜びに包まれて執り行われました。

広宣流布と令法久住の御覚悟

 日霑上人が妙寿日成貴尼に宛てられた書状には、
「山門も漸く七分通出来に相成候。諸材木之外、惣入費合式七百円程之見込、此程病気に付き弥在命も久しからずと存じ、何分にも在命中に大客殿の家根惣葺替之上、当山発軫之道場と申伝候六坪の間を再建致し度、俄に職工共を手分いたし三箇処一時之大普請(中略)此営繕実に困却之至には侯へども、最早命数旦夕に迫り候身必死と辛苦いたし居候事に候」
と記されており、いよいよ御自身の寿命が残り少ないことを感じられながらも、最後の御奉公と定められた三門等の修繕・再建に献身なされる日霑上人の御姿が目に浮かぶと共に、その御覚悟のほどが拝せられます。
 今日、これらの諸事業をやり遂げることがいかに困難であったかのすべてを知る術はありませんが、総本山第五十六世日応上人の、
「茲二我師日霑上人復職再三山内堂宇ノ修理再建其数挙ルニ堪へズ(中略)吾山第三中興ノ師」(布教会報 明治二十三年六月号)
と、日霑上人を称えられた御言葉から、いささかなりとも窺うことができるでしょう。、
 以上、建立から明治までの修繕の歴史を紹介しました。御先師方が広宣流布と令法久住のために、正法と総本山を正しく護持されてきた篤き信行の歴史を拝するとき、私たちがいかによき時代に生まれ、不自由なく総本山に登山でき、仏道修行に邁進できているのかを知ることができます。
 今の世を生きる私たちは、御先師方の御精神を信心の明鏡とし、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を迎える法華講衆として恥じることのないよう、令和三年に向かって万難を排し、大法弘通と総本山外護に邁進してまいりましょう。