宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
三門―意義と歴史―【第2回】 
 
壮麗な佇まいと意義A

広宣流布の根源たる大石寺興隆の象徴

 総本山三門の壮大にして威厳ある姿は、享保二(一七一七)年の建立から現在に至るまで、多くの人の心を打ってきました。
 かつて総本山第六十一世日隆上人は、御登座以前の宗務院の総監を務められていた時代に、
「三門は何分本山の表玄関であり従って之が興廃は自然一山の盛衰を物語る重要な建物である」(『正宗教報』昭和十年六月号)
と仰せになっています。
 日本第一の名山である富士山を背景にして聳える三門は、一閻浮提広宣流布の根源たる大石寺の重要伽藍であり、まさにその顔ともいうべき一宗・一山の表玄関なのです。
 その威容を永く後代に引き継ぐためにも現在、大改修作業が順調に進捗しています。
 昨年六月には、御法主日如上人猊下の大導師のもと上棟式が執り行われましたが、先達の長く紡いできた篤き思いを受け止めて、三門をはじめとする総本山諸堂宇を護持し、外護に努めていくことは、現代に生きる私たち法華講員の責務です。

本地甚深の妙法を一閻浮提に宣揚

 三門建立を発願された総本山第二十五世日宥上人は、『三門供養法則』の冒頭に次のように述べられています。
「爰に我等 滅後四百余年の星霜を過ぎ 累代第二十五世の時辰に至り 久遠元初の芳園に遊んで本地甚深の妙旨を伝へ 如来秘密の幽微を続て無上菩提の法義を演ぶ」(歴代法主全書)
 すなわち、日宥上人は立派な大門が完成した感慨もさることながら、この三門建立によって、久遠元初文底の南無妙法蓮華経の本地甚深の妙法の真実の意と、御本仏日蓮大聖人の広大無辺なる法門を一閻浮提に宣揚することができたことこそ、無上の喜びであると述べられているのです。

総本山大石寺の三門は信門

 日本全国の仏教寺院においては、多種多様な三門(山門)を目にすることがあります。
 それらの多くでは、三門の意義を、三解脱門(空・無相・無作)等と説明しています。
 一方で、総本山大石寺の建物は、古来、王城に因んで建てられてきました。そのため大石寺の三門には、王城に建てられる東門(発心)・西門(修行)・南門(菩提)・北門(涅槃)ののうち、東門・西門・南門を一つにした門との意義が具わっています。
 その上で総本山第六十六世日達上人は、
「我々は宗祖日蓮大聖人を信ずるゆえに、本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉って、当体蓮華の仏となることができるのであります。(中略)あえて名称をいうならば、信門とつけるべきでありましょうか」(日達上人全集)
と、総本山の三門は宗祖日蓮大聖人を信じ、本門戒壇の大御本尊、久遠元初文底下種の南無妙法蓮華経へ以信得入する「信門(信心の門)」であると御指南です。
 さらに日宥上人の『三門供養法則』の、
「夫れ三門は生死出離の要路なり、豈に三大一箇の妙境を表するにあらずや。本因妙行の所入なり、寧ろ一念三千の妙智を顕すにあらずや」(歴代法主全書)
との仰せと考え合わせれば、総本山大石寺の三門は、本門戒壇の大御本尊在す大石寺に登山参詣した僧俗が、三大秘法(本門の本尊・戒壇・題目)を正しく信受するために歩みを進めていく信心の門との、極めて重要な意義があるのです。

記念事業の完遂をめざして

 本宗は本門戒壇の大御本尊様を信じ奉り、日蓮大聖人様の三大秘法を全世界に広宣流布する、唯一の正系門下です。他宗の観光客に目を向けた堂塔伽藍の整備の在り方とは、その根本から大きく異なります。
 故に、私たちは御法主日如上人猊下が、
「三門や五重塔が壮麗に復元修復され、また、その他の事業が成し遂げられたとしても、肝心の法華講員八十万人体勢の構築が達成できなければ、名実共に大聖人御聖誕八百年を慶祝申し上げることにはならず、真の御報恩とはならないからであります」(大白法 九二六号)
と御指南されるように、三門の大改修事業と共に、記念事業の最大の要である法華講員八十万人体勢構築を、必ずや成就しなければなりません。
 大聖人御聖誕八百年への気運が高まる今、日々弛まぬ折伏行に邁進し、名実共にこの大慶事を寿いでまいりましょう。