宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
五重塔−意義と歴史 @
 
 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年まで五年となりました。日蓮正宗では今、慶祝記念局のもと、平成三十三年に奉修される慶祝大法要及び記念法要、法華講員八十万人体勢構築、総本山三門大改修、五重塔・諸堂宇修復工事及び関連事業、記念出版の各種記念事業が進められています。各種記念事業の進展について、今月よりこのコーナーでお伝えしてまいります。
     ◇     ◇
一回目となる今回から八回の予定で『五重塔−意義と歴史−』と思して、五重塔の歴史、さらに修復の様子などを連載いたします。

五重塔−意義と歴史−@
 総本山大石寺境内の東側を流れる潤井川に架かる朱塗りの御塔橋を渡り、杉木立の中の石段を登っていくと、高く聳える「五重塔」を見上げることができます。
 この五重塔は、今から二百六十七年前の寛延二(一七四九)年六月、総本山第三十一世日因上人の代に建立されたもので、昭和四十一年には国の重要文化財に指定されました。
 現在、総本山では、平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局の記念事業の一環として、この五重塔の修復工事が進められています。

大石寺五重塔の概要
 日本における仏塔にはいろいろな様式がありますが、大石寺五重塔は和様、三間四面、五層、棒瓦銅板葺きの形式で建立されています。
 塔の高さは、地面から第五重(第五層)の屋根上部までで約二八・八メートル、装飾である相輪の最上部までだと約三四・三メートルあります。
 総本山では、奉安堂が五五メートルで一番高い建物で、二番目が客殿の三六メートルですので、五重塔は客殿とほぼ同じぐらいの高さがあります。
 五重塔建立以前には、大石寺には既に御影堂と三門が建てられていましたが、その高さは二三メートルと二二メートルでした。ですから、五重塔の建立当時、初めてその姿を見上げた人は、これまで見たことのないその高さに、とても驚いたことと思います。
 さて、塔の幅は、初重(第一層)は約六・四メートルで、周囲を囲む縁まで含めると約一〇・七メートルあり、形は、ほぼ正方形をしています。
 そして、初重の面積は約四一・五平方メートル(一二・六坪)で、縁も含めると約七〇・一平方メートル(二二・一坪)あります。
 第二重以上の各層は、上部になるに従って、徐々に幅・面積が狭くなっています。
 また、塔の中心には「心柱」が通っていて、地面から塔の最上部の相輪部分まで、まっすぐに建てられています。
 この心柱は、幅が約三尺(約九〇センチメートル)もある太いものです。東京の上野恩賜公園にある旧寛永寺五重塔は、大石寺のものよりも二メートル高いにもかかわらず、心柱の幅は二尺ほどですので、それと比べても、大石寺五重塔の心柱がいかに立派な物であるかが判ると思います。

建立の経緯
 さて、このたび宗務院より出されました「御供養趣意書」にもありましたように、大石寺五重塔は、総本山第二十六世日寛上人と大檀那である天英院殿の発願により建立されました。
 このうち第二十六世日寛上人は、本宗中興の祖と仰がれている方で、総本山では毎年、その祥月命日忌法要として「寛師会」が奉修され、併せて奉納角力大会や花火大会も盛大に行われています。
 また天英院殿は、江戸幕府第六代将軍の徳川家宣公の正室で、名を煕子と言い、父は関白太政大臣を務めた近衛基煕、母は後水尾天皇の第一皇女である常子内親王という、高貴な家柄でありました。
 大石寺五重塔の初重の中央扉の上部には、金に塗られた徳川家の葵紋が掲げられ、その左右には近衛家の牡丹紋が据えられているのは、この天英院殿の関係によるものと考えられます。
 その後も、五代の御法主上人がその志を継承すると共に、諸国の檀信徒に建立御供養の勧幕が行われました。
 そして、延享二(一七四五)年には備中松山藩主の板倉勝澄公より一千両もの御供養がなされ、これにより五重塔建立の計画が具体的に進められることになったのでした。
 延享三年には幕府の許可が下りて工事が始まったのですが、この時、五重塔建立の許可を下ろした寺社奉行は、テレビドラマでも有名な大岡越前守忠相でありました。
 そして、三年ほどの工期を経て、寛延二年六月十二日、ついに大石寺五重塔が完成したのです。
 第三十一世日因上人の大導師のもとで奉修された落慶法要には、遠近からたくさんの人々が参詣し、その様子は前代未聞であったと記録に残されています。

改修の歴史
 また、建立の後も、補修・修理が加えられてきました。
 記録が残っているものだけでも、
 享和元(一八〇一)年
  第四十三世日相上人の代
 明治十(一八七七)年
  第五十五世日布上人の代
 明治二十二年
  第五十二世日霑上人の代
 昭和八(一九三三)年
  第六十世日開上人の代
 昭和二十八年
  第六十四世日昇上人の代
 昭和四十二年
  第六十六世日達上人の代
に改修が加えられてきたことが伝えられています。
 しかし、その後も時の経過と共に老朽化が進んできたことから、このたび宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を記念して、約半世紀ぶりに修復工事が施されることになりました。
 現在、五重塔は全体が足場で覆わわれて、その姿が見えなくなっていますが、その中では文化財としてふさわしい、きめ細やかな修復工事が、着実に進められています。
 明年一月には修復完成法要が奉修される予定ですので、その折には壮麗優美な姿を再び拝することができることでしょう。
 総本山で進む五重塔の修復に合わせ、私たちも「折伏躍進の年」の誓願目標達成に向け、日々、精進してまいりましょう。