宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
五重塔−意義と歴史 G
 
大石寺五重塔の意義
 本連載は、この第八回をもって最終回となります。最後に当たり、大石寺五重塔の意義について述べます。

西向きに建立された理由
 大石寺の諸堂宇は、奉安堂をはじめ御影堂や客殿、六壷など、そのすべてが南向きに御本尊を安置しています。しかし、五重塔だけは、境内の東にある高台に、西向きで建てられているのです。
 では、どうして西向きに建てられたのでしょう。これについて、主に次の理由が挙げられます。

本門寿量の宝塔であるため
 霊鷲山で法華経を説かれたとき、釈尊はインドの礼式に則り、東を向いて座られていました。そして『見宝塔品』において、七宝に飾られた宝塔が釈尊と対面するように出現すると、釈尊はその中に入って座り、引き続き甚深の法を説いたのです。つまり、釈尊が肝要である『如来寿量品』を説かれたのは、西向きであったのです。
 日本においては、中国文化の影響から、仏寺の須弥壇は南面するのが正当とされ、大石寺の諸堂宇が御本尊を南向きで安置しているのは、この理由によります。
 しかし、大石寺五重塔は法華経に出現した多宝仏塔をそのまま模しており、また五重塔に安置される御本尊はそのまま法華経を説く仏の当体に擬せられているものと拝されます。
 つまり大石寺五重塔は西を向いていることにより、法華経による正しい信仰の姿を示しているのです。

末法広宣流布のため
 また、大聖人は『諌暁八幡抄』の末尾に、
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向かへり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(御書一五四三n)
と、釈尊の仏法がインドから中国を経て日本へと西から東に渡来したのに対し、末法においては、太陽が東から昇って全世界に光明を及ぼすように、大聖人の下種仏法が西に向かって広宣流布すると説かれています。
 前御法主日顕上人猊下は、この御文を引かれながら、
「この五重塔は西を向いて建てられており、この扉を開くという意義は、末法に本因妙の本仏たる大聖人様が御出現あそばされ、この大法が日本、乃至世界に向かって弘まり広宣流布していくということであります。また、その意義において、この大法が弘められていく」(大白法 四七三号)
と、五重塔が西向きに建てられているのは、末法に御本仏日蓮大聖人が御出現になり、その説かれた大法が全世界に広宣流布していくことを示していると御指南くださっています。

広宣流布のための大塔

 五重塔を建立なさった総本山第三十一世日因上人は、加賀国惣講中への書状において、
「当山の大塔と申すは法華本門寿量を説き顕すところの久遠本因妙の大塔、南無妙法蓮華経の生身・法身具足の妙塔なり。神力品に結要付嘱したまう五重玄義の南無妙法蓮華経を、末法万年のほか未来までも広宣流布すべき大塔建立なり」
と、大石寺五重塔が久遠本因妙を示し、これを広宣流布するための大塔であると御示しです。
 また、この五重塔を修理して未来まで伝えることについても、「開山上人御遺状に云わく、修理を加え勤行を致し広宣流布を待つべきなり云云。若し大塔を建立すといえども、修理を加えずんば、広宣流布の時いかん。勤行を致すといえども、修復の志なくんば、いかでか興師の御意にかなうべきや。(中略)仰ぎ願わくは、有縁の人には異体同心してその志を励まし、自他倶に同じく霊山寂光浄土を期し給え」
と、修復の志の大切さを自分が心得るだけでなく、講中の仲間にも伝えて実践し、共に大功徳を頂戴していくべきであると御指南くださっております。

五重塔への思いを後世に

 平成二十七年四月十三日の五重塔修復着工法要より始まった工事も、一年八カ月余りの工期を経て、今月中には完了し、明年一月には、御法主日如上人猊下の大導師のもと、修復完成法要が奉修される予定です。
 二百六十七年前(寛延二・一七四九年)の五重塔建立の折、日因上人をはじめ全国の多くの僧俗が建立御供養に参加されましたが、当時は自由に旅行が許されなかったことから、御供養参加者の大多数は、完成した五重塔を目にすることができませんでした。
 最も御供養に尽力した備中松山藩主・板倉勝澄公でさえも、生涯にわたって、五重塔の前に立つことができなかったのです。
 平成の現在、私たちは有り難くも慶祝記念局の御供養に参加させていただけるだけでなく、明年以降は登山の折に、修復なった五重塔の紅い威容を目の当たりにすることができます。
 その福徳深厚な姿を、五重塔創建時の僧俗たちは、さぞかし羨望の眼差しで見られていることでしょう。
 私たちは正法を信仰できる有り難さを噛み締めると共に、御法主上人猊下の、
「大聖人様の御遣命である広宣流布を目指した信心でなければ、本当の信心とは言えないのです。(中略)自行と化他行を努めていくところに、我々の真の即身成仏があるということをしっかりと認識し、これからも頑張っていただきたいと思います」(大白法 九四二号)
との御指南を身に体し、折伏、育成、登山、寺院参詣、教学研鑚、御供養等に、思う存分、勇往邁進してまいりましょう。