宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
五重塔−意義と歴史 F
 
 五重塔

 今回の『宗祖日蓬大聖人御聖誕八百年』では、『五重塔−意義と歴史−』の第七回目として、五重塔建立のために僧俗が行った赤誠の御供養について、総本山第三十一世日因上人の残された御記録や御手紙等から紹介していきます。
 現在、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局の記念事業の一環である五重塔の修復は、十二月末日の完成に向け着々と進んでいます。
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 建立御供養の記録

 建立の契機と基金の設立

 大石寺五重塔が建立される契機は、総本山第二十六世日寛上人と、徳川幕府第六代将軍・徳川家宣公の正室である天英院殿により、建立が発願されたことにあります。
 そして、これを受けて、第二十五世日宥上人と日寛上人、第二十七世日養上人の三上人が、建立の基金として計百五十両を残されました。
 この額を現在の金額に単純に置き換えることはできませんが、仮りに大工の賃金を基準に換算してみると、百五十両は四千八百三十万円になります。この金額は、とても大きな金額ですが、五重塔を建立するには、まだまだ足りない額でした。

 御供養の勧募

 その後、元文三(一七三八)年には第三十世日忠上人が、江戸の常泉寺・妙縁寺・常在寺の三力寺の檀信徒に対して、五重塔建立のための御供養を勧募されました。これは毎月、一人当たり十六銭を御供養し、建立資金として積み立てるというものです。
 また、これに合わせて、大石寺の地元や加賀地方(石川県)などからも、御供養が寄せられました。
 第三十一世日因上人は延享三(一七四六)年八月に『五重大塔建立助力帳』を残されており、これには御供養した人の名前や金額などが克明に記載されています。
 この上巻には、大石寺周辺地域の僧俗からの御供養が記され、九十三両の材木と六十三両の金銭、合計百五十六両分の御供養がなされたことが書かれています。
 また、中巻と下巻は現存しないので詳細は判らないのですが、江戸の僧俗から三百四十八両、加賀の信徒から三百七十二両もの御供養が寄せられたことが書かれていたようです。
 こうして納められた真心からの御供養は、五重塔が完成する寛延二(一七四九)年時点で、九百六十五両に上りました。
 さらに、延享二(一七四五)年に備中(岡山県)松山藩主・板倉勝澄公より千両もの大金が寄進されたことにより、五重塔の建設が本格的に動き出したのです。
 翌延享三年六月には建設工事が始まりました。工事に当たっては、地元の僧俗が土や石、木材を運ぶなど、手足を惜しむことなく手伝ったことが『五重宝塔供養法則』に記されています。
 そして、着工から丸三年後の寛延二年六月に、五重塔は見事に完成し、日因上人の大導師のもと開眼法要が盛大に奉修されました。

 日因上人の御苦難

 さて、どのような建物であっても、建設するには資金が必要です。まして、五重塔のような大規模な建築物を造るとなると、莫大な金員が必要となります。
 実際、大石寺五重塔の建立には、総額四千二百十三両一分の費用がかかりました。この額は、現在の約十三億五千万円にのぼります。
 日因上人が書かれた『宝塔建立之由来』によると、五重塔の完成直後の時点で、集まっていた御供養は、板倉公からの御供養も含め、千九百六十五両でした。ですから、差し引き二千二百四十八両一分の資金が不足していたのです。
 そこで、大石寺や大杉山(有明寺・山梨県身延町)の資金を融通したり、種々の預かり金から支出するなどして、当座をしのがれたようです。
 日因上人は、この書の最後に、
「右の通り払い不足千二百十五両一分、日因、家財を売り払っても相応に相済申すべしと存じ候」(諸記録)
と、その決意を記されています。
 御自身でも、既にできる限りのことはなさっていたにもかかわらず、それでも「家財を売り払っても完済する」と記されていることに、五重塔を建立された御法主上人としての大きな責任感が拝されます。
 五重塔が完成した後も御供養の勧寡は続けられ、宝暦十三(一七六三)年には加賀金沢の信徒である金屋妙厳より、五重塔の初層の唐戸が寄進されています。このご婦人は齢七十にして、五百万遍の唱題を成就し、その頃、登山参詣もされたほどの強信の方でした。また、明和二(一七六五)年には板倉公から再度、千両の御供養がなされました。
 これらにより、未払金や借入金の大半は支払うことができたようですが、それでもまだ完済には至らなかったようです。



 平成の我々も同様の喜びを

 大石寺五重塔は、発願されて以来、六代の御法主上人がその志を継承され、日因上人の代に落慶いたしました。
 その中で、板倉公からの御供養が大きな支えとなったことは申すまでもありませんが、それだけでは、建立費用のすべてを賄うことができませんでした。日因上人の何としても建立させるとの篤い思いと、諸国の僧俗からの御供養がなければ、完成することはできなかったのです。
 まさに大石寺五重塔は、日因上人や板倉公をはじめとする多くの僧俗の志が、ぎっしりと詰まった宝塔なのです。
 現在、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局の御供養が勧募されております。二百六十七年前に建立された五重塔の姿を後世に伝える尊い事業に、我々平成の法華講衆も進んで携わり、建立当時の僧俗と同様の喜びを感じてまいりたいと思います。