宗祖日蓮大聖人御聖誕生800年
大 白 法 より
五重塔−意義と歴史 B
 
 法華経・御書に説かれる宝塔の意義
 現在、総本山大石寺では宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を記念して、五重塔の修復工事が進められています。
 この五重塔は、法華経と宗祖日蓮大聖人の仏法をもとに建立されました。
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法華経に説かれる宝塔
 仏教が日本に伝来した初期から、法華経は篤く信仰されました。
 例えば、飛鳥時代の聖徳太子が撰したと伝えられる「三経義疏」には法華経の注釈書である『法華義疏』が含まれており、また奈良時代の聖武天皇が全国に建立を命じた国分尼寺には法華経が安置され、その正式名称も「法華滅罪之寺」と言いました。
 この法華経の中には、塔についての記述が多くあります。
 すなわち、『方便品第二』には、
「諸仏滅度し已って舎利を供養する者 万億種の塔を起てて金銀及び頗梨 シャコとミノウ マイ瑰瑠璃珠とをもって 清浄に広く厳飾し 諸の塔を荘校し(中略)童子の戯に 沙を聚めて仏塔と為る 是の如き諸人等皆已に仏道を成じき」(法華経一一四n)
と、仏塔を造立することによって成仏した姿が説かれており、さらに、
「若し人散乱の心に 塔廟の中に入って 一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成じき」(同一一七n)
と、塔中における称名修行の功徳が示されています。
 また、『法師品第十』には、
「薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならしむべし。(中略)若し人有って、此の塔を見たてまつることを得て、礼拝し供養せんに、当に知るべし、是等は皆、阿耨多羅三藐三菩に近づきぬ」(同 三二六n)
と、経巻等を納める塔の建立を勧め、それを礼拝供養する者は成仏に近づくことが説かれています。
 さらに『見宝塔品第十一』では、釈尊の説法が正当であることを証明するために、虚空に多宝塔が出現しました。すると、霊鷲山で説法されていた釈尊は、この塔に入って多宝仏と並んで座り、その後、本門の説法に入って、一経の肝心たる『如来寿量品第十六』を説示されたのです。
 この法華経の宝塔は、霊鷲山で東を向いて説法をしていた釈尊に対面する形で出現したため、西を向いていました。つまり『寿量品』は、釈尊が宝塔の中から西を向いて説かれたのです。

御書に説かれる宝塔
 日蓮大聖人は御書中に、宝塔について種々御示しになっております。
 その中でも『阿仏房御書』には、
「宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しなじなをくり物、たしかにうけとり候ひ畢んぬ。此の趣き御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候。(中略)あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり(中略)宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ」(御書七九二n)
と、大聖人が御図顕あそばされた御本尊のことを「宝塔」と示され、この御本尊をしっかりと拝むように仰せられています。
 さらに、大聖人は、
「末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然れば貴賎上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、我が身宝塔にして、我が身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益なり」(同)
と、御本尊に向かって唱題する者の五大の凡身も、そのまま宝塔となることを御教示されています。
 また『日女御前御返事』には、「日蓮が弟子檀那等『正直捨方便』『不受余経一偈』と無二に信ずる故によて、此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。(中略)南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」(同一三八八n)
とあり、そして『御義口伝』には、
「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る程の者は宝塔に入るなり」(同一七二八n)
と仰せになって、御本尊を信じて唱題に励むことにより、御本尊の仏界と境智冥合して、我々凡夫も御本尊の宝塔に入る、すなわち即身成仏できると示されています。

文底下種本因妙の五重塔
 大石寺の五重塔は、法華経に出現した宝塔と同じように、西向きに建立されています。
 これは、この塔が法華経に説かれる宝塔供養の意義に基づき、妙法の当体であることを象徴しています。
 しかし、これは、けっして文上の法華経の意義を示しているのではありません。
 大石寺五重塔には、総本山第三十一世日因上人が御書写された、宝塔の命たる御本尊が安置されており、ここに末法の御本仏・宗祖日蓮大聖人の文底下種本因妙の教えに基づいて建立されていることが明らかです。
 現在、他宗も含め、五重塔は数多く建立されていますが、唯一、大石寺の五重塔のみが、末法万年の民衆を救う大仏法の精神を正しく表わしているのです。