立正安国論正義顕揚750年
御 影 堂
−尊厳なる意義と歴史− 終わり
 連載十二回目となる今回をもって『御影堂―尊厳なる意義と歴史―』は終了となる。        
最終回では、大石寺開創七百年の記念事業として行われた「前御法主日顕上人猊下の改修」、そして、
 立正安国論正義顕揚七百五十年記念事業として行われている御影堂大改修工事を「御法主日如上人猊下の大改修」として紹介する。                                   
前御法主日顕上人猊下の改修
 昭和五十四(一九七九)年七月、総本山第六十六世日達上人猊下の御遷化によって、かねて同上人より血脈相承の内付を受けられていた第六十七世日顕上人猊下が御登座あそばされました。
 前御法主日顕上人猊下は御先師の法脈を継承されると共に創価学会の慰撫教導を含めた御化導の一切を引き継がれ、以降、「祖道の恢復」、「異体同心の確立」、「広布への前進」の三指針を掲げられ、正しい広布前進の道を切り開くべく、一宗を董されました。
 特に御在職中に現出した、正信会・創価学会等の異流義の徒輩に対しては、謗法厳誡を旨として毅然と対処され、宗関南祖以来の血脈正統の宗是を厳護あそばされました。
 宗勢を大きな飛躍へと導かれる中、客殿の再建や奉安堂の新築に代表されるように、本門戒壇の大霊場にふさわしい総本山の尊容と格式を維持し、さらなる荘厳と施設の充実・発展に向けて、随時、境内整備を進められ、その御功績は今もなお鮮やかに光輝を放っています。
 御影堂に関連する御事績としては、平成二(一九九〇)年、大石寺開創七百年を期した慶祝記念事業における改修が挙げられます。
 この際の工事では、塗装の塗り直しなど、外装修復を中心とした補修が行われました。また御影堂に関連する堂宇である鐘楼・鼓楼の建替え、三門から御影堂へと続く参道も同時に整備されています。
 なお、この平成二年の総合整備は広範囲に及び、その他、総本山発祥の意義を持つ六壺の新築、図書館と講堂を兼ね備えた中講堂の新築、江戸時代に起源を持つ塔中・報恩坊の復興、総坊エリアの総一坊、総二坊の新築、御歴代上人の御著述等の御宝物を収蔵する多宝蔵の新築など、近年、最も大規模な境内整備をもって慶事を迎えられました。
 これらすべての事業が完了した同年四月一日、御影堂において、前御法主日顕上人猊下大導師のもと、「総本山修築・整備事業完成奉告法要」が厳粛かつ盛大に奉修されています。
 また、平成十四年・宗旨建立七百五十年慶祝記念事業においても、御影堂については、塗装修理を施すなど、小規模な補修を含め、時機に応じて御影堂の荘厳に努められた御足跡が拝されます。
 御法主日如上人猊下は、
 「日顕上人猊下には、昭和五十四年御堂産以来二十七年間、激動の中を卓越した指導力と、人心・時期を鑑みられ透徹された判断力によって一宗を御統率遊ばされ、清浄にして隆々たる今日の宗門を築き遊ばされたことは、我等一同等しく驚嘆敬服し給うところである」(写真集「正導」 序)
と前御法主日顕上人猊下の御功績を称賛あそばされています。
 恐れながら、御当職時は世相の混乱に加え、平成法難とも言うべき、創価学会による宗門誹謗の渦巻く激動の趨勢にあって、けっして揺らぐことなく、正法厳護・破邪顕正に基づいた御教導を貫かれました。
 そして、二十七年の御在職を経て、平成十七年十二月、後嗣として御当代日如上人猊下に唯授一人・金口嫡々の血脈を御相承あそばされ、総本山の境内荘厳と等しく、永代に亘る磐石なる令法久住・広宣流布の基盤を築かれたのです。
御当代御法主日如上人猊下の大改修
創建以来最大規模
初の全面解体・再建
 御法主日如上人猊下が御登座されてより四カ月後の平成十八年四月、立正安国論正義顕揚七百五十年記念局が発足し、この折に記念事業である総本山総合整備事業の中心事業として、御影堂の大改修工事を行うことが決定しました。
 現在の御影堂建物を造立された第十七世日精上人と同様に、御法主日如上人猊下の御化導の初めの事業として、御影堂の改修に着手されたことは、不思議なる因縁を感じざるを得ません。
 とりわけ、御影堂は本宗の宗是である宗祖本仏義の象徴の意義と、境内においては中心堂宇としての威厳、そして総本山内最古の建造物という歴史を有し、さらには文化遺産としての性格をも併せ持ったたいへん重要な堂宇です。
 御法主日如上人猊下の御指南を拝しますと、御影堂大改修を新たな広布への礎として、さらなる折伏弘通の進展を図られた甚深なる御意志が窺えます。
 さて、「総本山御影堂大改修着工法要並びに御遷座式」の席上、総本 山総合整備事業委員会主任委員・佐藤慈暢御尊師は、
 「文化財保護の専門家によれば、御影塁のような有形木造文化財は三百五十年ぐらいに一度、大修理を行うことがよいとされているそうです。当御影堂もちょうどその時期に当たっており、このたび文化財の保守管理に携わる専門家に依頼して調査を行った結果、都合四回にわたる修理が行われてきたとはいえ、傷みがひどくなってきていることから、宗門の重要な法要が営まれる堂宇としてのみならず、これだけの歴史ある建築文化財を後世に残し伝えるためにも大改修を行い、さらには、将来、予想される地震に対しても早急に対策を行っておく必要があるとの結論を得ました」(大白法 七〇七号)
と今回の大改修に至る経緯について説明されています。
 これは、近年予想される東海大地震に対して万全の対策を取る上から、立正安国論正義顕揚七百五十年記念局の常任委員会等において、種々検討が重ねられた結果、すべての部材を解体して一旦更地にし、組立再建を行う根本的な修理工事をすることが最善の方途であるとの結論 によるものです。
 工事の経過を振り返ってみますと、平成十八年十一月の「総本山御影堂大改修着工法要並びに御遷座式」を皮切りに、堂宇を覆う素屋根が建設され、本格的な改修が始まりました。
 約三年後の同二十二年六月には、一度、解体された御影堂が、再び組み上げられるのに際し、その事始めとして「立柱式」が奉修されました。
 そして、同二十四年四月には、柱・棟・梁などの基本構造が完成して棟木を上げるときに行われる「上棟式」が奉修され、工事は順調に進み、本年十月末に完成する予定となっています。
 さて、経過の中で最新の技術を取り入れるために、静岡県文化財保護審議会委員等の学識経験者によって構成される修理委員会を設置し、修理方針について慎重に審議を行い、その助言を受けながら修理が進められています。
 当改修は明治の大改修後の姿を基本としつつ、宮大工の伝統的工法と最新の技術を駆使して工事が行われ、復元可能な部分については、元禄修理時の形態に倣った復元をめざしています。
 工事の具体的な内容としては、
○建築基準法に定める耐震性能の強度を確保するために地盤を叩いて締め固め、礎石を据え直して強度を高めた。
○屋根の銅板の葺き替え。
○すべての部材に職人の手による繕いを施し、腐朽箇所をなくした。
○調査・分析によって得られた結果から、古来の伝統的塗装である「丹土塗り」への塗り替え。
○須弥壇・天井格子等の漆部分の塗り直し。
○内陣周りの柱・内々陣組物・天蓋等の金箔を張り直し。
○内陣組物の彩色を塗り直し。
○御宮殿・彫刻・絵画等の彩色補修。
○防火設備である放水銃の新設。
○正面石段を一旦解体して組み直し、緩やかな勾配に改修。
と御影堂創建以来、最も大規模な改修となりました。
 そして、昨年末には素屋根の撤去工事が進められ、数年ぶりに我々の眼前に御影堂が姿を現わしました。雄大なる富嶽の麓に絢爛豪華な様相と、かつ往古の尊容を偲ばせる総本山史を象徴する姿を拝するものです。
 今回の改修では銅板の屋根が葺き替えられました。今後、次第に深みを増す緑青が吹き始め、周辺にある木々と相俟って御影堂の威容を際立たせていくことでしょう。
おわりに
 創建以来、御歴代上人によって行われてきた御影堂の荘厳は、『日興跡条々事』の御指南、すなわち日興上人の御遺命である「修理を加え」る一環であることは言うまでもありません。
 御法主日如上人猊下は、
 「平成二十五年に御影堂の落慶大法要を迎えるに当たりまして、 我々として心掛けていかなければならない大事なことが一つあると思います。それは何かというと、私どもは名実ともに大法要をお迎えするということに尽きるということであります。すなわち、大改修の成りました御影堂の威容にふさわしい信心をもって、この大法要を迎えるということであります」(同 八三九号)
と御指南あそばされています。
 平成二十五年十一月に奉修される「御影堂大改修落慶大法要」を名実共にお迎えすべく、全支部誓願達成をめざし、いよいよ折伏に邁進してまいりましょう。