平成25年4月16日付
総本山を歩く
第46歩 ~日達上人歌碑~
 塔の原グラウンド駐車場の北側に、総本山第66世日達上人の歌碑が立てられています。この歌碑は、日達上人が、「法華講の山桃」との題で、
 「山桃の実ほ小さくも身を守り 広布の願い萌えいづるらむ」
と御詠みになられた御歌を刻印し、昭和53(1978)年に石碑として建立されたものです。 同年11月、この山桃の碑の除幕式が日達上人御臨席のもとに行われています。
 この御歌について、日達上人ほ、昭和51年の全国法華講青年部大会で披露され、
 「法華議は小さいけれども、必ず広布の根本は法華議であるという精神に生きて、また折伏もして、信心を励んで自分の家を大事に守っていただくことをお願いして、今日のご挨拶といたします」(大白法 167号)
と御指南あそばされています。
 日達上人は、明治5(1902)年、東京都京橋(東京都中央区)に誕生され、明治43年に、第57世日正上人の徒弟となられました。
 その後、昭和5(1930)年に長野県伊那市・信盛寺の留守居となられ、昭和11年に大阪府堺市・本伝寺住職、昭和16年に東京都豊島区・常在寺の住職となられて戦後の復興に御尽力されました。
 また、昭和21(1946)年に宗務院庶務部長、昭和31年に日蓮正宗総監に就任されています。
 さらに、昭和33年、群馬県太田市に高林寺(現在は正信会により不法占拠中)、昭和34年、千葉市畑町に清涼寺を建立あそばされています。
 そして、同年、第65世日淳上人より血脈相承を承けられて、第66世の法灯を継がれました。
 御登座後は、広布大願のために御尽力され、数多くの御事蹟を遺されて、第67世日顕上人猊下に法を付嘱された後、昭和54(1979)年7月に御歳77歳をもって御遷化あそばされました。
 私たちは、常に法華講の興隆発展を願われ、折伏弘教に邁進された日達上人の御高徳を仰ぎ奉り、法華講員としての誇りを持ち、信心を根本に一生懸命に折伏に励んで広宣流布に向かって日々精進していくことが大切です。