平成25年1月16日付
総本山を歩く
第43歩 ~内事部~
  六壺の西側に大坊(内事部)が建てられています。
 大坊は、正応3(1290)年10月、謗法の地・身延を離山された第2祖日興上人が建立された建物で、大石寺創建以来、御歴代の御法主上人が居住される中枢の坊です。
 この大坊の建立に続き日目上人が蓮蔵坊を、次いで日興上人・日目上人等のお弟子方が、理境坊、久成坊、百貫坊、寂日坊、南之坊を建立し、さらにその後、蓮東坊、了性坊、蓮成坊、観行坊、本境坊、浄蓮坊、本住坊を建立して、中央塔中13カ坊が整備されました。
 当時、大坊の建物の大きさは十二間四面で、本堂、居間、寺務所、集会所等があったと伝えられています。
 その後、再建新築等が行われ、近年においては、享和元(1801)年、第43世日相上人の代に修復が加えられ、慶応2(1866)年、第52世曰霑上人の代に再建されています。
 現在の建物は、昭和37(1962)年、第66世日達上人の代に再建新築された建物で、昭和56(1981)年、平成13(2001)年、前御法主日顕上人猊下の代に改築が行われています。
 建物の内部には、大石寺全体の道営を統括する内事部をはじめ、塔婆受付、役員室、会議室、学衆寮、僧侶宿舎、食堂、厨房等を備えています。
 日興上人は、弘安5(1282)年、大聖人から血脈相承を受けられ、身延山久遠寺の住職となられました。
 しかし、その後、身延の地頭である波木井実長が民部日向にそそのかされて、数々の謗法を犯すに至り、日興上人の再三にわたる注意にも改めませんでした。
 そのため、日興上人は、大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺命に随って、本門戒壇の大御本尊をはじめ大聖人の御灰骨、御書、御遺物等の一切の重宝を捧持し、正応2年の春、身延を離れて、南条時光殿の請いによって富士に移られました。
 そして、翌正応3年、多くのお弟子方と共に、大石寺大坊を建立して、万代に亘る仏法流布の礎を築かれ、今日に至っているのです。
 私たちは、これまで七百有余年にわたって、大聖人の仏法を正しく伝えてきた根本道場・総本山大石寺を今後も厳護していくと共に、さらなる祈伏弘教に邁進していくことが大切です。