平成24年7月16日付
総本山を歩く
第39歩 ~報恩坊~
  法祥園東側の東塔中に歩みを進めると、北側に報恩坊が建てられています。
 報恩坊は、総本山第30世日忠上人により、元文5(1740)年に創建されました。
 寛政8(1796)年には、第39世日純上人が再興され、現在の建物は、平成元年に大石寺開創700年の記念事業として、前御法主日顕上人猊下により再興新築された建物です。
 報恩坊の本堂の御宝前には、前御法主日顕上人猊下が認められた常住御本尊が御安置されています。歴代住職として、第32世日教上人が務められました。
 日忠上人は、初め大阪天満の蓮興寺(現・日蓮本宗)において出家の後、帰伏して大石寺に登り、第27世日養上人を師匠として修行に励まれました。享保12(1727)年には、本山妙蓮寺(富士宮市下条)の住職であった日寿師の懇請によって妙蓮寺第五代住職となり、文啓日厳の名を「日芳」と改められています。
 その後、総本山道蔵坊に移り、第9代の学頭となられ、元文元(19736)年には、第29世日東上人より血脈相承を受け、御登座あそばされました。
 曰忠上人の多大な御功績として、第26世日寛上人と徳川幕府6代将軍家宣公の御台蹄であった大貴院殿が立てられた起塔の志を受け継がれ、五重塔の建立実現に向けて多大な尽力をなされたことが拝されます。
 また、弟子には、後の第37世日上人や第38世日泰上人がおられました。
 そして、元文五(1740)年に、第31世日因上人に血脈を相承され、石え坊に隠居されますが、後にこの報恩坊を隠居所として建立されたと伝えられています。
 この報恩坊の名称について、前御法主日顕上人猊下は、根本道徳である報恩の意義と、建立された年に日因上人が『報恩抄』の御講義をされていることなどから命名されたことが拝されると御指南あそばされています。
 私たちは、報恩坊の名に表されるように、大聖人様への御報恩を常に忘れず、日々の勤行・唱題・折伏に邁進することが大切です。