平成24年11月16日付
総本山を歩く
第41歩 ~東之坊~
 法祥園東側の東塔中に歩みを進めると東之坊が建てられています。
 東之坊は、延享2(1745)年に、総本山第31世日因上人によって創建され、慈雲坊とも称されていました。
 その後、昭和30(1955)年に、第64世日昇上人によって再興新築され、昭和35(1960)年、昭和47(1972)年には、第66世日達上人によって改築が行われています。
 現在の建物は、平成20年、立正安国論正義顕揚750年の記念事業として、御当代御法主日如上人猊下によって再建新築されたものです。
 これまで東之坊には、創建された日因上人や第35世日穏上人が隠居所としてお住まいになられていました。
 現在、東之坊の本堂の御宝前には、第64世日昇上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 東之坊は、第26世日寛上人以来、五重塔建立に伴う大石寺境内の北東区域整備のために建立された坊舎であったようです。
 古地図によると、創建当時の東之坊は、御塔橋の西側五重塔からほぼ正面に位置する場所にあったことが判ります。
 当時は、五重塔を中心として、宗順坊、清光坊、東光坊、西山坊等の塔中が建立されていました。
 また、昭和時代の日昇上人の代による復興再建は、当時総本山への参詣信徒が急激に増加したことに伴い、信徒のための施設拡充が急務となって建立されたものです。
 当時の建物は、千尊県勝浦市にあった旅館を移築したものであり、建坪は、330坪、2階建ての二棟で、約800名の宿泊を可能にし、当時の宿坊としては最大規模でした。
 また、この当時の本堂は、昭和47年の改築の際に、東之坊から富士宮市の忠正寺に移築され、現在も忠正寺の本堂として残されています。
 私たちは、護法の精神に基づき、大石寺境内を整備され、尊い浄財を御供養された方々の信心の姿勢を学び、広宣流布に向かって、日々の勤行・唱題に励み、ますます祈伏に精進していくことが大切です。