平成23年12月16日付
総本山を歩く
第36歩 ~蓮成坊~
 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の西側に蓮成坊があります。
 蓮成坊は、第二祖日興上人のお弟子であった越後房日弁師によって、大石寺開創九年後の正安元(1299)年に創建されたと伝えられ、当初は乗観坊と称されていました。
 その後は、再建等をくり返し、近年においては。昭和31(1956)年に改築されています。
 現在の建物は、平成20年に、立正安国論正義顕揚750年の記念事業として、御法主日如上人猊下によって再建新築されました。
 歴代の御住職には、総本山第63世日満上人が務められております。
 蓮成坊の本堂中央の御宝前には、第31世日因上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 蓮成坊を創建された日弁師は、熱原(静岡県富士市)滝泉寺(天台宗)の僧でしたが、建治元(1275)年頃、日興上人の教化により、下野房日秀師・少輔房日禅師等と共に帰伏して弟子となりました。またこの頃、日弁師の弟子で、後に本門戒壇の大御本尊を彫刻される和泉公日法師も日興上人を介して大聖人の弟子となっています。
 この日弁師等の帰伏に対し、滝泉寺院主代の行智は、「念仏を称えます」と誓わせようとしましたが、日弁師等はそれに応じることなく大聖人の仏法弘通に励まれました。すると行智は、強い怨嫉を抱き、農民信徒を罪人に仕立て上げて鎌倉に送りました。
 鎌倉で、幕府の侍所であった平左衛門尉頼綱に改宗を迫られた農民たちは、それでも怯むことなく声高らかに唱題したため拷問され、さらに中心者であった神四郎・弥五郎・弥六郎の三人は首をはねられてしまいました。
 この法難に対し、大聖人様は、弘安二(1279)年に、日興上人、日弁師、日秀師に『聖人等御返事』を送られ、今こそ強い信念と破邪顕正の精神を堅持し、信心を全うしていくよう励まされました。
 そして大聖人様は、時の至れることを観ぜられ、弘安二年十月十二日、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊様を御建立あそばされたのです。
 日弁師はその後、大聖人の御計らいにより、真間(千葉県)の富木常忍のもとに一時身を移されますが、広布に邁進されて、応長元(1311)年に73歳で亡くなられました。
 私たちは、法難に屈せず熱原の信徒と共に大聖人の仏法を貫かれた日弁師の折伏弘教の信仰姿勢を学び、御命題達成に向かって折伏行に邁進することが大切です。