平成23年5月16日付
総本山を歩く
第33歩 ~観行坊~
 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の西側に観行坊があります。
 観行坊は、第2祖日興上人の弟子であった伊勢公日円師によって、元応元(1319)年に創建されました。
 その後は、再建等を繰り返し、近年においては、昭和32(1957)年に、本堂の一部改修が行われ、昭和55(1980)年に、大聖人700御遠忌の記念事業として、本堂並びに表門の修復が行われています。
 現在の建物は、平成20年に、立正安国論正義顕場750年の記念事業として、御法主日如上人猊下によって再建新築された建物です。本堂中央の御宝前には、第66世日達上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 観行坊を創建された日円師は、奥州柳目(宮城県栗原市)で生まれ、第3祖日目上人が奥州弘教に訪れた際に出家されたと伝えられています。その後、富士に登られて、日興上人の弟子として修行に励まれ、その間に他の弟子方に倣って草庵を建てられたのが、観行坊の始まりであるとされています。
 日円師は、後に命を受けて、故郷である奥州に戻ります。そして、日目上人が弘安10(1287)年に建立された奥州柳目の妙教寺第2代住職として、寺運興隆に努められ、広布に邁進されて、延元2(1337)年に亡くなられました。
 この日円師ゆかりの奥州弘教は、自らの出家の縁となった日目上人の教化により大きく発展していきました。
 日目上人は、まず弘安6(1283)年に、三ノ迫新田に上新田坊(後の本源寺)を建立され、続いて、三ノ迫柏木に法華堂(後の上行寺)を建立されました。さらに、一ノ迫柳目に法華堂(後の妙教寺)、元弘2(1332)年には、第4世日道上人に命じて、宮野に妙円寺を建立されています。
 これら日目上人有縁の寺院は、由緒寺院として奥四カ寺と称され、約700年の星霜を経ています。
 また、この頃教化を受けた奥州出身の弟子には、日円師の他に、全国に36カ寺を建立された太夫阿闍梨日尊師や、総本山に蓮仙坊(後の了性坊)を建立された日乗師などがおります。
 私たちは、日目上人やその弟子の布教精神を学び、それぞれの地域において折伏弘教に邁進し、日々の信行に精進していくことが大切です。