平成23年3月16日付
総本山を歩く
第31歩 ~寂日坊~
 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の西側に寂日坊があります。
 寂日坊は、第2祖日興上人の弟子であった寂日房日華師によって、大石寺聞創に伴って正応3(1290)年に創建されました。その後は、再建・新築等をくり返し、近年においてほ、明治20(1887)年に改築が行われています。
 現在の建物は、昭和59(1984)年、前御法主日顕上人猊下の代に再建新築された建物です。
 寂日坊は、第3祖日目上人御遷化の後、日郷師が塔中の首坊である蓮蔵坊に不法に住し、その後廃坊となったため、塔中の首坊となりました。特に江戸時代には、歴代の住職が総本山の代官(代わりに行政などの職務を司る者)を勤めることが多く、代官坊と称され、その格式を表わすものとして門が朱色に塗られています。
 本堂中央の御宝前には、第17世日精上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 歴代の御住職には、第56日応上人、第57世日正上人、第58世日柱上人、第60世日開上人、第63世日満上人が勤められております。
 日華師は、建長4(1252)年11月に、甲斐二十日村(山梨県)に生まれ、建治2(1276)年に日興上人の弟子となり、大聖人様より二十家阿闍梨との阿闍梨号を賜ったと伝えられています。また、弘安3(1280)年には、大聖人様より御本尊を授与されています。
 永仁6(1298)年頃には、甲斐の鰍沢に蓮華寺を開き、そこを拠点として折伏弘教に励まれました。そこで、当時蓮華寺の近くに住していた、後の讃岐本門寺の開基檀郡である秋山氏を教化し、讃岐地方の広布に多大な功緒を残されました。
 正中元(1324)年には、総本山大石寺の開基檀那である南条時光殿より、富士上野(静岡県富士宮市)の旧宅の寄進を受けて妙蓮寺を創建し、さらに、嘉暦3(1328)年には、伊豆伊東に蓮正寺を創建しています。
 そして、建武元(1334)年、妙蓮寺において83歳で亡くなられたと伝えられています。
 日華師は、身延に入山して間もなく大聖人様、日興上人にお仕えし、信頼も厚く、日興上人が大石寺を開かれてからも一門の重鎮として日興上人、日目上人を補佐する重要な役割を救ってきました。よって当時は、「日華上人」と上人号で呼ばれていたようです。
 私たちは、大聖人様、日興上人、日目上人に常随給仕され、本宗発展のために弘教に邁進された日華師の信心の姿勢を学び、広布に向かって精いっぱい折伏に励み、多くの人を正法に導いていくことが大切です。