平成23年1月16日付
 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の西側に百貫坊があります。
 百貫坊は、第2祖日興上人の弟子で、本六僧の一人であった摂津阿闍梨日仙師が、正応3(1290)年に、大石寺開創と共に創建された建物で、当時は、上蓮坊と称されていました。
 その後は、再建・改築等をくり返し、現在の建物は、平底20年、御当代日如上人猊下の代に、立正安国論正義顕揚750年の記念事業として再建新築されました。
 本堂中央の御宝前には、第66世日達上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 歴代の御住職には、第62世日恭上人や第65世日淳上人が務められております。
 百貫坊を建立した日仙師は、もともと真言宗の僧侶であった寂日房日華師の弟子でありましたが、日華師が日興上人より教化を受けて帰伏した際に、共に日興上人の弟子になりました。正応3年10月8日には、日興上人から御本尊を授与されています。
 また、日華師が教化した甲斐国の秋山氏が、讃岐(香川県三豊市)に移った際、日興上人は、日華師有縁の日仙師を讃岐に派遣されました。そして、日仙師は元亨3(1323)年、秋山氏の持仏堂であった法華堂を寺院として整備し、本門寺を創建されました。
 元弘3(1333)年には、日向定善寺を建立した薩摩阿闍梨日睿師が日仙師を師匠として富士門流に帰伏しています。
 さらに、建武元(1334)年には、上蓮坊で重須の伊予公日代師との間に『方便品』の読不読について問答が行われました。
 その後は、讃岐の地で広布に邁進し、寺運興隆と信徒教化に努められて、正平12(1357)年、96歳まで生きられました。
 私たちは、自らの一生を讃岐の広布に献げ、大石寺の信仰を讃岐の地に根付かせた日仙師の信仰姿勢を学び、広宣流布に向かって、日々の信行に励み、折伏を実践していくことが大切です。