平成23年8月16日付
総本山を歩く
第33歩 ~本境坊~
 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の東側に本境坊があります。
 本境坊は、第二祖日興上人の弟子であった治部公日延師によって、大石寺開創から三十一年後の元亨元(1321)年に創建され、当初は治部坊と称されていました。
 その後は、再建等をくり返し、近年においては、昭和六年に新築されています。
 現在の建物は、平成二十年に、立正安国論正義顕揚750年の記念事業として、御法主日如上人猊下によって再建新築された建物です。
 歴代の御住職には、総本山第六十三世日満上人もおられます。
 本堂中央の御宝前には、昭和六(1931)年に、日蓮大聖人第650御遠忌の御報恩として、第六十世日開上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 本境坊を創建された日延師は、甲斐国青沼(山梨県)の出身で、当時は国符寺という所に居住しておりましたが、日興上人の教導により弟子として出家し、嘉元三(1305)年には、日興上人より御本尊を授与されています。
 そして、正平七(1352)年に亡くなられています。
 その後、本境坊の第二代住職になられたのが、日向(宮崎県)出身の薩摩阿闍梨日叡師であると伝えられています。
 日叡師は、元々真言宗の修験者でしたが、寂日坊を建立した日華師が折伏をした日向の道証房との縁によって入信しました。
 元弘元(1331)年には、日向財光寺の阿弥陀堂を法華堂(後の定善寺)に改め、元弘三年には、百貫坊を建立した日仙師の門に入室しました。
 建武元(1334)年には、仙台問答を機縁として総本山第四世日道上人に帰依し、翌建武二年には、日向に本善寺を建立しています。
 その後、日延師の後を継いで本境坊の住職を務められ、日向や富士の地において大法広布に邁進し、正平二十四(1369)年に亡くなられました。
 私たちは、本境坊を建立された日延師とその後を受け継がれた日叡師の広布への尊い精神を学び、御命題達成に向かって、日々の勤行・唱題と折伏に邁進することが大切です。