平成22年11月16日付
総本山を歩く
第27歩 ~理境坊~
 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の一番奥の西側に理境坊があります。
 理境坊は、第2祖日興上人の弟子で、本六僧の1人であった下野阿闍梨日秀師が、正応3(1290)年、日興上人の大石寺開創と共に創建された建物です。
 その後、再建・改築等を繰り返し、現在の建物は、昭和52(1977)年に建てられ、平成2(1990)年には、大石寺開創700年の記念事業として増改築されています。
 また、このたび、立正安国論正義顕揚750年の総本山総合整備事業として、本堂の耐震工事が行われ、本年10月9日に、御法主日如上人猊下大導師のもと、理境坊本堂耐震改修奉告法要が奉修されました。
 本堂中央の御宝前には、総本山第31世日因上人が、寛保4(1744)年に認められた常住御本尊様が御安置されています。
 この理境坊を建立された日秀師は、当時富士市にあった天台宗・滝泉寺の寺家僧でありましたが、建治元(1275)年項、日興上人の折伏弘通により教化を受けて、越後房日弁、少輔房日禅と共に、帰伏改宗し、日興上人の弟子となりました。
 さらに、日秀らの改宗により神四郎・弥五郎・弥六郎の三兄弟が帰依するなど、近隣の多くの百姓たちも信徒となりました。
 これらの僧俗の入信が相次ぎ、惹起したのが熱原法難です。
 弘安2(1279)年9月には、滝泉寺の院主代・行智が、日秀師の田の稲刈りを多くの法華講衆が手伝っていることを聞き、刈田狼藉の罪に仕立てて、武士を集めて、20数名の農民を取り押さえ拘留しました。 その後、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人が斬首され、他の者も牢獄に入れられたのです。
 この法難を契機として、大聖人様は弘安2(1279)年10月12日に出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を顕わされました。
 私たちは、この入信間もない、日秀師をはじめとする僧侶や信徒の身命に及ぶ大難に遭いながらも命を賭して正しい教えを護り抜いた篤き信心と、日興上人の折伏弘通の姿勢を学び、日々の信行に精進することが大切です。