平成22年12月16日付
 

 総本山の三門をくぐり参道の歩みを進めると中央塔中の東側に久成坊があります。
 久成坊は、第三祖日目上人の弟子であった玉野太夫阿闍梨日尊師が、正応三(一二九〇)年に、第二祖日興上人の大石寺開創と共に創建されました。
 その後は、再建・改築等をくり返し、明治時代には、境内に観成洞という小学校の分校が置かれていたこともありました。
 現在の建物は、平成十九年に、立正安国論正義顕揚七五〇年の記念事業によって再建新築されました。
 本堂の御宝前には、総本山第十七世日精上人が認められた常住御本尊が御安置されています。
 この久成坊を創建された日尊師は、もともと天台宗の僧侶でありましたが、弘安六(一二八三)年、日目上人に教化を受けて改衣得度し、その後、日興上人の弟子になりました。
 しかし、久成坊を創建してから九年後の正安元(一二九九)年、日興上人の御説法中に梨の木の葉が落ちるのに気を取られていた日尊師は、「大法を弘める者が説法中に落ち葉に心を奪われるとは何事か。速やかに席を立ちなさい」と日興上人より叱責を受け、勘当されました。
 日尊師は深く反省し、発心して弘教に邁進しました。そして、十二年の間、東北地方を中心として各地に弘教の歩みを運び、各地の三十六ヵ寺もの寺院を改宗・建立され、勘当を解かれたと伝えられています。
 正慶二(一三三三)年には、日郷師と共に日目上人の天奏にお供をされ、美濃の垂井で日目上人が御遷化された後は、御意のままに遺骨を奉じて上洛し、代奏を遂げられました。その後は、そのまま京都に残り、要法寺の前身である上行院を建立しています。
 私たちは、梨の木の話にもあるように、御法門を真剣に聴聞することの大切さを学び、御報恩御講や広布唱題会をはじめとして、常日頃から所属寺院に参詣し、信心修行に励むことが大切です。