平成19年9月16日付
 
 潤井川に沿って建てられている裏塔中六カ坊の一つに、石之坊(常唱堂)があります。
 石之坊と常唱堂は、もともと別の建物で、石之坊は、亨保9(1724)年、総本山第26世日寛上人が、常唱堂の建立を発願して現在の地に建立されました。
 常唱堂はその3年後の亨保12(1727)年6月、第28世日詳上人の代に遠信坊の北側に建立されました。
 日寛上人はこの常唱堂の建立に当たり、
「富士の根に常に唱うる堂建てゝ雲井に絶えぬ法の声かな」
と歌を詠まれています。
 また、建立当初は「常題目堂」と称され、本堂の横には堂番部屋があって、6人の僧侶がそこに常に詰めて日夜不断に唱題行を行ったことが伝えられています。
 その後、大正14(1925)年10月、第58世日柱上人の代に、現在の石之坊の境内へ移転改築され、さらに、昭和41(1966)年9月には、第66世日達上人の発願によって全国の僧侶や信徒の寄進をもって、6間4面の堂宇を再建され、開創当時を偲ばせる入母屋造りの立派な堂宇となりました。本堂中央の須弥壇には、第26世日寛上人の常住御本尊様が御安置されています。
 現在、石之坊(常唱堂)では、毎年9月に総本山行事として寛師会が行われ、さらに、毎月、大坊在勤の所化小僧さんによる日頃の教学研鑚の発表の場も寛師会と称されて行われています。
 また境内には、説法石があります。日興上人が身延を離れ、富士に移られて大石寺を建立されるまでの間、この上で人々に説法をされたと伝えられています。
 本宗の信仰とは、文底下種の南無妙法蓮華経である三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を信じ、毎日の勤行と唱題、そして、折伏を行って、自らも、また周りの人も共に幸せになっていくことにあります。
 我々は、日寛上人が正法護持・広宣流布を願って建立された常唱堂の意義、また、その境内に置かれている説法石の折伏弘教の意義に鑑み、2年後の平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年に向かって、日々の勤行、唱題、そして、折伏に邁進し、多くの人たちを幸せに導いていくことが大切です。


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