平成19年3月16日付
 
 三門をくぐり塔中の参道を北へ進むと、左側に客殿や大坊へ繋がる通路があり、そこに朱塗りの門があります。この門は古風な唐破造りで、表側の上部に鬼の面が配されていることから「鬼門」と呼ばれています。また、朝日の昇る東の方角を向いて建っていることから、俗に「朝日門」とも称されています。
 この鬼門は、享保二年(1717)年、総本山第二十五世日宥上人により建立され、昭和三十三年(1958)年、総本山第六十五世日淳上人によって、屋根が桧皮葺から銅葺に改められました。
 古来、鬼門には「仏法の住処」「鬼の出入りする処」という二つの意義があり、
「陰陽道で、鬼が出入りする所として何事も忌み避けるべき方角・場所とした」(新潮国語辞典)
ということから、災いを除き避けるために鬼門に当たる丑寅(東北)の方角に社寺を
建てて神仏を祀ったのです。
 このことは、大聖人様が『上野殿御返事』に、「仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり」(御書1361)
と御教示のように、インドの霊山が王舎城の丑寅の方角にあることや、中国の天台山が漢陽宮の丑寅の方角にあること、日本の比叡山が平安京の丑寅の方角に建立されていることにも明らかです。
 そこで、末法の今日における「仏法の住処」とは何処かと言えば、それは大聖人様が、
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同 1675)
と示されるように、日本国の中にも富士山に本門寺の戒壇を建立すべきことが明らかです。そして、その理由について総本山第二十六世日寛上人は、
「正しく王城の鬼門に当たるが故に」(六巻抄 62)
と釈されています。ですから、富士上野の地に本門戒壇の大御本尊まします総本山大石寺が建立され、悪鬼を善鬼に変えて、参詣の一切衆生を利益しているのです。
 私たちは、この鬼門に具わる深い意義を拝し、一人でも多くの人たちがこの仏法に帰依できるよう、日々に折伏を実践していくことが大切です。


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