平成18年6月16日付
 
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 六壷は、第2祖日興上人が、正応3(1290)年10月12日に建立した大石寺発祥の建物です。創建当時は、持仏堂をはじめとする6つの部屋に分かれていたので、この名があると伝えられています。
 その後は、種々の変遷を経て、明治22(1889)年1月1日、第52世日霑上人の代に、独立した堂宇として建立されました。さらに第64世日昇上人、第66世日達上人の代に復興改築がなされました。
 現在の建物は、昭和63(1988)年10月7日、前御法主日顕上人猊下の御発願により大石寺開創700年の記念事業として新築再建されたものです。
 堂宇内部の須弥壇には、日興上人が乾元2(1303)年8月に御書写された持仏堂安置の御本尊が奉安されています。
 建物の構造は、十間四面の平屋建て、総けやき造りで、草創時を偲ばせる古来の伝統的な木造建築です。内部は170畳で、4本の柱のみとなっています。これは、ここに集う僧俗が共に御本尊様を拝することができるように考慮されたものです。
 この六壷では、毎朝、代々の御法主上人猊下が客殿の丑寅勤行に引き続いて広宣流布の御祈念をなされています。また、朝5時半と夕方4時半の所化・小僧さん方の勤行や唱題行、参詣信徒の塔婆供養、さらに永代供養の御経日や得度式、寒経などが行われています。
 六壷の建立より始まる大石寺が、現在の地に建てられたのは、日蓮大聖人様が『日蓮一期弘法付嘱書』に、
「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(御書1675)
との御遺命を残され、富士山を本門戒壇の霊地と定められたことによります。さらに大聖人様より唯授一人の血脈相承を受け継がれた日興上人が、富士上野の地を御遺命の本門戒壇建立の霊地と定められた御精神によるものです。
 私たちは、この尊い御精神を受け継ぎ、本門戒壇の大御本尊様と御法主上人猊下がまします一切衆生救済の唯一の根本霊場・総本山大石寺を、未来永劫にわたってお護りしていくことが大切です。
 皆さんも、大聖人様の尊い仏法が世の中に弘まり、多くの人が幸せになれるように、朝晩の勤行をしっかりと行い、たくさんの人に仏法のすばらしさを伝えてまいりましょう。