平成29年4月16日付
                立宗会について
  皆さん、こんにちは。
 四月に入って暖かくなり、春らしくなってきました。でも、雨が降って外で遊べない日もありますね。
 昔から四月二十日頃は、「穀雨」と呼ばれ、穀物の成長を助ける雨の季節でもあります。春は雨が降る日が多いですが、穀物にとっては成長に欠かせない恵みの雨なのです。
 学校では学年が一つ上がり、クラス替えなどがあって新しいお友達も増えたことでしょう。勉強も新しいことを教えてもらえますね。
 新しい環境でも、朝夕の勤行・唱題に励んでいくならば、どんなことも恵みの雨となって私たちを成長させてくれます。そのことを忘れないでくださいね。
 さて、四月二十八日は何の日でしょうか。そうです。立宗会ですね。
 立宗会は、建長五(一二五三)年四月二十八日、末法の御本仏日蓮大聖人様が南無妙法蓮華経の教えを建てられて、立宗を宣言あそばされたことを記念して御報恩申し上げる法要です。
 今月は、この立宗全についてお話します。

諸国を遊学
 大聖人様は御年十二歳の時、安房(現在の千葉県)の清澄寺に登られました。今と違って学校がない時代でしたから、学問をするためにはお寺に入る必要があったのです。
 そして、十六歳の時に道善房を師匠として出家得度されました。
 十八歳になられた年、鎌倉や、当時の仏教の中心であった滋賀県の比叡山延暦寺や、真言宗の総本山である和歌山県の高野山金剛峰寺などといったいろいろな宗派の中心寺院に足を運ばれ、その教えを学ばれました。
 その目的は、たくさんある仏様の教えの中で、何が真実の教えなのか″を探究するためでした。
 そして三十二歳の御時、大聖人様は、最も正しい教えは法華経だということ、末法に弘めるべき教えはその法華経の肝心の「妙法蓮華経」であることを確信されたのです。

一切衆生の成仏を願われた立宗宣言

 遊学を終えられて清澄寺に戻られた大聖人様は、「南無妙法蓮華経」を弘められることを御決意あそばされました。建長五年三月二十八日、末法において初めて法界に向かって唱えられると共に、この大法を順縁の少々の人々にも説かれたのです。そして、四月二十八日、広く世の中の人々にこれを弘めることを宣言あそばされました。
 また、立宗に当たって、自らのお名前を「日蓮」と改められました。
 『報恩抄』に、
「私日蓮が衆生を救わんとする慈悲を広く大きく持っているならば、私の唱える南無妙法蓮華経の題目はこれから先の遥か未来にわたって弘まり続けて、人々を救うだろう(趣意)」(御書一〇三六n)
と仰せのように、大聖人様が「南無妙法蓮華経」と唱えて立宗を宣言されたことは、すべての衆生を救おうとする仏様の大慈悲が込められています。

初転法輪と忍難の御決意

 大聖人様は立宗を宣言されるため、集まった地元の人々に御説法をされました。これを初転法輪と言います。
 その内容は、当時の人々の間で流行っていた念仏や禅宗では、成仏できないことを教えるものでした。そして、法華経こそが、唯一成仏できる教えだと説かれたのです。初転法輪の後、念仏を信仰していたご両親も折伏されました。
 しかし、その御説法を聞いた地頭(土地を治める身分の高い人)の東条景信をはじめ、謗法に執われた多くの人々が大聖人様を憎み、法難が起こり始めます。
 それでも大聖人様は、一切衆生を救おうとする大慈大悲から、法難が競い起こることは「南無妙法蓮華経」が正しいことの証明である、と逆に喜びとされ、さらに御化導を貫かれました。
 『諸法実相抄』 に、
「私日蓮が唱える南無妙法蓮華経の題目は、最初私しか唱える人はいなかった。しかし、二人、三人、百人とだんだん信じ唱える人が増えていき、これから未来にわたってその功徳が伝わっていくだろう(趣意)」(同 六六六n)
と御指南されています。
 立宗会に当たっては、大聖人様の大慈大悲への御報恩と、大聖人様の御意を拝し、折伏の決意を新たにすることが大切です。
 しっかりと朝夕の勤行をし御題目を唱えていき、そしてお友達や縁のある人を折伏していくことによって、大聖人様が伝え残してくださった「南無妙法蓮華経」が弘まっていくのです。