平成23年12月16日付
                     掃除について
 皆さんこんにちは。
 もうすぐ冬休み。学校の宿題や毎日の厳しい寒さもありますが、昔から「子供は風の子、元気な子」と言いますから、元気にお寺に参詣したり、外に出て運動し、心身共に鍛えましょう。
 さて、十二月は、皆さんの寺院の大掃除がありますね。大掃除は、信心の道場であるお寺に一年間参詣させていただいた感謝の気持ちと、明年を新たな決意で清々しく迎えられるようにと、心を込めて行います。
 そこで、今月は「掃除」についてお話したいと思います。

掃除とは
 掃除は、埃や塵を取り除いて、きれいにするということを言います。掃除をする場面は、日常生活の中にたくさんあります。
 掃除をするのは、気持ちよく過ごすためですね。
 例えば、学校の教室に入ったとき、ゴミが落ちたり散らかっていたらどうでしょうか。家に帰ったとき、玄関が汚れていたらどう思いますか?嫌な気持ちになりますね。
 ですから、お母さんは毎日、家族のために家の中を一生懸命掃除してくださるのです。皆さんも学校で教室や廊下を一生懸命掃除しますね。それは、みんなが気持ちよく勉強し、楽しい学校生活を過ごすためなのです。
 清潔できれいな空間は、安心と落ち着きを与えてくれます。また、汗をかくくらいがんばって掃除をすると、心身共に清々しく、達成感と満足感が生まれます。
 この、「汚れをきれいにする」ということは、仏教にも通じているのです。

須梨槃特の話
 昔、インドに、摩訶槃特と須梨槃特という仲のよい二人の兄弟がおりました。兄の摩訶槃特はたいへん優れた頭脳の持ち主でしたが、弟の須梨槃特はたいへんに頭が悪く、自分の名前を覚えることもできませんでした。
 二人はお釈迦様のお弟子となり、兄はあらゆる煩悩を断ち切って、阿羅漢という悟りの位に至りましたが、弟はというと、そう簡単にいきません。
 それを見てお釈迦様は、須梨槃特に「我塵を払い、我垢を除かん」との二句を授けましたが、これも覚えられません。
 そこでお釈迦様は、須梨槃特の過去世からの罪障が深いことを知られ、罪障消滅のために一つの修行を与えられました。それは、すべての僧侶の履物の汚れを拭き清め、「我塵を払い垢を除かん」と唱えることでした。
 毎日毎日、たくさんの履物をきれいにすることはたいへんでしたが、須梨槃特はまじめに修行に励みました。すると少しずつ罪障が消えていき、ついに悟りを開くことができました。
 その悟りとは、本当に取り除くべきは履物の塵や垢ではなく、人の心の塵や垢で、その正体は貪瞋癡の三毒ということです。「貪」とは自分の欲するものに執着する心、「瞋」とは自分の心に違うことをいかること、「癡」とは物事に道理に迷う愚かな心を言います。この三毒を払い清めることが最も大切であると悟り、兄と同じ阿羅漢の位に至ることができました。
 皆さんが行う、「掃除」は、所属する寺院、または御本尊様をお迎え申し上げている自分の家の仏間を清浄に保つことが根本と言えましょう。それが御本尊様への御供養となり、大きな功徳を戴く仏道修行にもなるのです。

「本当にきれいにするのは人の心の汚れ」というお話をしましたが、我々末法の衆生も、過去世からの罪障を持っています。
 日蓮大聖人様は『当体義抄』に、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三徳・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書 六九四)
と仰せられ、勤行・唱題、折伏に励むことが、罪障消滅と即身成仏するために大事であると御教示されています。
 さらに御法主日如上人猊下は、
「この貪・瞋・癡の三毒を三徳に転じていく、それにはただ一つ、大聖人様の仏法による以外にはないのであります」(大白法 六八五号)
と御指南あそばされています。
 ですから、毎日の勤行・唱題に励むことはもちろんですが、大聖人様の立正安国の御理想実現と御命題達成するには、一人でも多くの人を折伏し、世界中の人々が大聖人様の仏法を持ち、御題目を唱えて共に罪障消滅していくことが最も大切です。
 皆さんの仏道修行の道場は、総本山大石寺、所属する寺院、自宅の仏間です。今年一年仏道修行をさせていただいた御本尊様在す道場に感謝の気持ちを持って、一生懸命掃除をさせていただきましょう。そして、明年を新たな決意と目標を持って、清々しく迎えてまいりましょう。