平成29年5月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
               中興の二祖 日有上人さま A

 前回から、日蓮正宗の中興の祖と仰がれる総本山第九世日有上人について学んでいます。
 日有上人がなぜ中興の祖と仰がれているのかを、総本山第五十九世日亨上人は、
「本末の衰へを回復したのと、信仰箇條を一定したのと、一生涯の弘通とは、何しても中興と申し上ぐべき事である」(日蓮正宗綱要)
と、三点から中興の祖たる所以を述べられています。
 前回は、日有上人の御生涯の略歴や故事を説明し、中興の祖たる所以となった、総本山の諸堂宇整備と各地への弘通の業績の二点を紹介いたしました。
 今回は、『有師化儀抄』を中心に、残りの「信仰箇條を一定した」御功蹟について説明します。

  学僧の育成

総本山の整備事業に伴い大きく興学の気運が高まり、富士門流はもとより他門流からも、日有上人の学徳を慕って大勢の学僧たちが、その教えを拝聴するために集ったと言われています。そして日有上人は、その学僧たちに対し、血脈相伝の御立場から、大聖人と日興上人の下種仏法の御法門を御教示されました。また、諸国の布教に歩かれて積まれた深い御見識をもとに、富士門流の化儀法式を整足して御教示されました。
 日有上人の御著作は、前回挙げた『大石寺歴代忌日表』しか現存しておりませんが、日有上人から聴聞した御法門や化儀の法式について、弟子たちが『有師化儀抄』『日有上人御物語聴聞抄』『連陽房聞書』『下野阿闍梨聞書』等として筆録しています。
 このことについて『日蓮正宗要義』には、
「日有上人の著述というべきものは現在皆無であり、自ら著述において筆を執られたことはおそらくなかったものと推される。にもかかわらず、その言行録の聞書が今日南条日住の化儀抄をはじめ、(中略)七書も残っていることは、けだし希有のことであり、日有上人の人格見識の抜群なることを物語るものであろう」(日蓮正宗要義 二七八n)
と述べられています。
 特に『有師化儀抄』の百二十一カ条は、日興上人の『遺誡置文』の二十六カ条と共に宗門の化儀信条の根幹であり、総本山大石寺の山法山規の基をなしています。
 このことは、総本山第六十六世日達上人述の『日有師化儀抄略解』に、
「総本山大石寺には、山法山規という規則があって、われわれは、知らず知らず、その規範に律せられているのである。
 ところが、この山法山規は、不文律である。しかも、この山法山規は不文律でありながら、総本山には、今日まで、七百年来、厳然と行われているのだから、不思議である。
 この山法山規も、そのもとは、二祖日興上人の遺誡置文二十六箇条と、日有上人の化儀抄百二十一箇条にあるのである。
 遺誡置文には、一箇条に於ても犯す者は、日興が末流に有るべからず。
 化儀抄には、この上意の趣を守り、行住坐臥に拝見有るべく候。
 と、強く末弟を、誡められているのである。
 その末弟を誡められた事がらを、末弟がよく心肝に染めて、伝えたのである。それが、いつか、山法山規という名になって、今日に伝えられたのである」(日有師化儀抄略解)
 と仰せになられています。
  それでは、『有師化儀抄』いわゆる『化儀抄』について学んでまいりましょう。



  『化儀抄』について

 『化儀抄』は、若干十四歳で御登座なされる日鎮上人のために、日有上人が当宗の化儀信条について以前より口述されてきたものを、弟子の南条日住師に筆録せしめ、日住師を通じて日鎮上人に伝授されたものです。
 『化儀抄』の成立は、日有上人の御遷化の翌年の文明十五(一四八三)年初秋三日です。
 『化儀抄』末尾に記された南条日住師の識語には次の内容が書かれています。
 「日有上人が仰せられるに、『化儀抄』百二十一ヵ条の指南は、ただ一人に限って申し伝えるべきで、二人以上に伝えてはならないと遺されています。よって日有上人のこの仰せを守り、あなた(日鎮上人)は行住坐臥に拝見すべきであります。されば朝夕日有上人に対談申し上げているとの信力をもってすれば、そこに仏様の冥々のお心持ちを感ずることもできるでしょう(趣意)」
 とあり、さらに日付の後に、
 「私(日住)は老境にあり、(日鎮上人に)弔いを約束している身ですから、周囲の嘲りをも顧みず、日有上人の御指南を書いて授けます。この条目に違背するようなことがあってはなりません(趣意)」
 と、南条日住師が御遷化された日有上人からの御指南を、日鎮上人へと伝えられたのです。
 したがって、『化儀抄』は基本的には日有上人による次期御法主上人への相伝書として著された内容ですが、当然私たち門下一般も富士門流の化儀信条を述べられた根幹の内容であるため、時の御法主上人の御指南に随って、常に拝し、規範とすべき内容です。

  『化儀抄』の大要

 『化儀抄』には、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人が弘められた文底下種の大法である南無妙法蓮華経が、そのまま末法の衆生の即身成仏の大法である所以を、大きく四つの内容に分けて説示されています。
  第一に「信心」です。
 『化儀抄』の第七十三条には、妙法蓮華経は諸仏の師であるから、受持信心の人は自ずから諸仏の内証に適うと御教示されています。
 第二は、「師弟相対」です。
 『化儀抄』の第四条には、大聖人から日興上人へと師弟相対の信心によって、御内証の御法体を付嘱なされたように、代々の御法主上人には大聖人の御内証が脈々と受け継がれていることが示されています。私たちの即身成仏の道は、大聖人からの御内証を伝持される御法主上人へ師弟相対して信を取り、さらには指導教師の御指導通りに信心に励むことであり、このところに私たちの色心が妙法蓮華経と一体となって即身成仏することを御指南されています。
 第三は、「行体・行儀」です。
 信心があれば、必ず行と学が伴ってきます。僧俗共に日常万事の行い・振る舞いがそのまま御本尊様への御奉公の姿に決定しているところが、正しく信心であり、妙法蓮華経の姿であると御教示されています。
 第四は、「謗法不与同」です。
 事の即身成仏とは信心が根本であるため、謗法に同ずればたちまち信が破れて成仏することができません。したがって身口意の三業にわたって、謗法に染まらないようにしなくてはなりません。『化儀抄』には、謗法についての具体的事例を挙げた制誡も多くあります。ここでは細目の箇条の内容は挙げませんが、大本は謗法厳誡の精神に則られています。
 以上の四つの内容以外にも、末法は折伏であること、また僧侶の行体や心得、法衣についての制誡や日常の勤行・仏前作法、仏事追善の項目など、あらゆる分野にわたって詳細に御指南されています。
 『日興上人遺誡置文』と共に、この『化儀抄』が遺された故に、本宗の信行は宗開両祖の時代から少しも変わることなく、受け継がれているのです。
 私たちは、日有上人が『化儀抄』において御教示された化儀信条を常に拝し、謗法厳誡の精神に立って、ますます折伏に精進してまいりましょう。
 次回は、『化儀抄』の百二十一ヵ条の内、いくつか紹介して日有上人の御指南を拝していきましょう。