平成27年9月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
               法華経について R
『従地涌出品第十五』(前半)

 今回学ぶ『従地涌出品第十五』から、いよいよ「本門」に入ります。「本門」では、釈尊の本地が明かされます。
 この品は、内容から前半と後半に分かれ、その前半が序分に当たり、後半は正宗分に入ります。
 正宗分は、本門の中心部分であり、『寿量品』を主体として、『涌出品』の後半部分と『寿量品』の次に説かれる『分別功徳品』の前半までの一品二半がこれに当たります。
 そして『分別功徳品』の後半からは、本門の流通分に入ります。
 今回は、本門の正宗分が説かれる前の準備段階として説かれた『涌出品』の前半部分を学びます。

  地涌の菩薩出現の経緯

 前々回学んだ『勧持品第十三』では、先の『見宝塔品第十一』並びに『提婆達多品第十二』において、釈尊が一会の大衆に滅後の法華経を勧められたことから、その要請を受けて、初めに薬王菩薩等の二万人の菩薩、次に舎利弗等の五百羅漢及び八千の学・無学のもの、また六千人の比丘尼、そして最後に、娑婆世界に住む八十万億もの菩薩たちが、末法悪世に法華経を弘通することを誓願しました。
 次いで、前回の『安楽行品第十四』では、折伏による難を忍んでの弘教に耐えられない初心の菩薩のために、身・口・意・誓願という四種の安楽行を示して摂受による弘教の方軌を説かれました。また、「髻中明珠の譬え」をもって法華経が一切の教えの中で最勝の経であることを教えられました。
 そして、『勧持品』において滅後末法において娑婆世界で法華経弘通を誓願する迹化の菩薩等の姿を見て、釈尊の分身として十方の世界で人々を化導される諸仏の付き人として来た、他方の国土の菩薩たちも、ぜひ共、娑婆世界で妙法を弘めさせて欲しいと念じていました。
 今回の『涌出品』では、このような他方の菩薩たちによる弘通の誓願から始まります。そして、『涌出品』の冒頭、娑婆世界以外の他方の世界から来た八恒河沙以上の無数の菩薩が、釈尊の前に起って申し上げました。
「世尊よ、もしも私たちが、仏の滅後、この娑婆世界で、勤めて精進し、この法華経を護り持ち、読誦し、書写し、供養する、ということをお許しいただけるのならば、必ずやこの国土において法華経を広く説きましょう(趣意)」(法華経 四〇七n)
すると、釈尊の返答は実に意外でありました。釈尊はこの菩薩たちに対し、
「止みね、善男子」(同四〇八)
と答えられたのです。「止」というのは「とどめる」の意で、「お前たちが、この経を持つ必要はない」と、はっきり制止されたのです。これは、他方の菩薩に対しただけではなく、これまで弘通を誓願してきたすべての菩薩や比丘尼・比丘尼をも含めてのものです。

  霊山虚空会に出現した地涌の菩薩

 続いて釈尊が、
「私にはこの裟婆世界に六万恒河抄の菩薩がある、この一々の菩薩に六万恒河沙の眷属があって、我が滅後、この法華経を護持、読誦し、広く説くであろう。(趣意」(同n)
と説き終わると突如、娑婆世界の大地が震裂して、その中より無量千万億もの大菩薩衆が同時に涌出し、虚空に満ちあふれました。その姿は皆金色で、仏と同じように三十二相を具え無量の光明を放っていました。これらの菩薩は、娑婆世界の遥か下にある虚空の中に住するのですが、ただ今の釈尊の言葉を聞いて、そこから涌き出てきたのです。これが地涌の菩薩と言われる菩薩衆です。
 無数の地涌の菩薩たちは、虚空に昇って、宝塔の中に在す釈迦・多宝、さらに十方分身の諸仏を礼拝し、種々の形をもって讃歎しました。その間、釈尊も大衆もただ黙然とし、たいへんに長い時間がかかりましたが、それでもわずか半日のように感じさせたのです。こうして、虚空を覆い尽くした地涌の菩薩の中には、上行・無辺行・浄行・安立行という四人の上首唱導の指導者がいました。
 彼らは、合掌して、
「世尊は安楽で病も少なく、心配も少なく、安楽に仏道を行じられておられますでしょうか。また、教化を受ける衆生は素直に教えを受けて、あまりご苦労をかけたりしてはいないでしょうか(趣意)」(同 四一一n)
と御機嫌をお伺い申し上げると、釈尊は、
「私は安楽にして少病少悩であり、多くの衆生は教化しやすいので疲労することはありません(趣意)」(同 四一二n)
とお答えになられました。その釈尊の答えを聞いた上行菩薩をはじめとする四大菩薩は、心から随喜しました。

  此土・他土の菩薩の疑い

 さて、その時、弥勤菩薩をはじめとする多くの菩薩たちには、「私たちは、今まで、このような大菩薩が大地から涌き出で、世尊の前に合掌して、このように挨拶をされたことを見たことがない(趣意)」(同 四一三n)との疑念が生じました。そこで、弥勤菩薩が一会を代表して問いました。
「地涌千界の大菩薩たちは、どういった菩薩なのでしょうか。
また、何の因縁によって来たのでしょうか。そして、誰が教化したのでしょうか。私は、過去無量の世に、あらゆる国士で修行し、来世には仏になると保証された菩薩ですが、今大地より涌き出た大菩薩については、ただ一人として識る者はありません。願わくば、この疑いを晴らしてください(趣意)」(同n)
 すると、先に弘教の誓願をした他方の菩薩たちも、同様のことをそれぞれの仏に質問しました。すると、仏たちは「今弥勒菩薩の問に釈尊が答えられるから、それを待ちなさい」と言いました。
 ここまでの内容が『涌出品』の前半部分、つまり本門の序分となります。
 続いて、本門の正宗分の内容になりますが、詳しくは次回学びたいと思いますので、ここでは概略的に説明いたします。

  涌出品後半の概説
  釈尊は、先ほどの弥勤菩薩の質問に対して、地涌の菩薩は、釈尊がインドの伽耶城菩提樹下において三十歳で成仏してより教化してきた菩薩であることを述べられました。そして、答えの最後のところで突然
「我久遠より来、是等の衆を教化せり」(同 四二二n)
と実は久遠の昔より地涌の菩薩を教化してきたことを簡略に明かされたのです。これを略開近顕遠と言います。すると弥勤等の疑いの矛先は、地涌の菩薩から釈尊へと変わりました。弥勤菩薩等は釈尊の始成正覚に執着していたため、心が揺れ動き、疑いを生じるのです。これが動執生疑ということで、その答えが『如来寿量品』に説かれるのです。

 地涌の菩薩が涌出した理由

 釈尊は本化地涌の菩薩を召すために「止みね、善男子」と他方の菩薩の誓願を退けられました。この理由について、天台大師は他方の菩薩と本化地涌の菩薩との前三後三をもって釈されていますが、当家の法義の上からは、さらに迹化の菩薩と本化地涌の菩薩との前三後三が説かれます。★詳しくは、図表をご覧ください。
 つまり釈尊滅後の末法における妙法弘通は、釈尊の本眷属として常に娑婆世界に住し、結縁が深く、功徳を積むことも深く、末法の本未有善の衆生を救う利益のある本化の菩薩でなければ叶わないことを示されています。
 また、天台大師は『法華文句』において、地涌の菩薩が出現した理由を、聞命の故、弘法の故、破執の故、顕本の故、の四つにまとめて示しています。
 簡略に言うと、地涌の菩薩は釈尊の命によって大地より涌き出で、釈尊の三十成道への執着を払い、久遠以来常住の仏であることを顕わすために大地より涌き出で、さらに釈尊滅後の妙法弘通の付嘱を受けるために大地より涌出したのです。つまり、地涌の菩薩は、次の『寿量品』の説法を引き起こし、その付嘱を受けるために来たということです。
 今回は教相上の流れについて述べてきましたが、次回はいよいよ本門の正宗分に入ります。ぜひ、下種仏法の上から地涌の菩薩の出現にどのような深義があるのか詳しく学んでいきましょう。


【他方・本化(地涌)の前三後三】
他方の菩薩
一には、他方は釈尊の直弟に非ざるが故に
二には、他方は任国不同の故に
三には、他方は結縁の事浅きが故に
本化(地涌)の菩薩
一には、本化は釈尊の直弟なるが故に
二には、本化は常に此の土に住するが故に
三には、本化は結縁の事深きが故に

【迹化・本化(地涌)の前三後三】
迹化の菩薩
一には、迹化は釈尊初発心の弟子に非ざるが故に
二には、迹化は功を積むこと浅きが故に
三には、迹化は末法の利生応に少なかるべきが故に
本化(地涌)の菩薩
一には、本化は釈尊初発心の弟子なるが故に
二には、本化は功を積むこと深きが故に
三には、本化は末法の利生応に盛んなるべきが故に
 『三重秘伝抄』(六巻抄三五〜八n)より