平成27年6月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
               法華経について P
『勧持品第十三』

 
 今回学ぶ『勧持品』は、『見宝塔品第十一』『提婆達多品第十二』に引き続き法華経迹門の流通分に当たり、受持段と勧持段の二段からなります。
 「勧持」とは法華経の受持を勧める意と拝されますが、これは釈尊が会座の聴衆に滅後流通を勧められ、迹化の菩薩衆が弘経を警願したことに依っています。

  受持を明かす

 先に『見宝塔品』で説かれた「三箇の勅宣」と『提婆達多品』で説かれた「二箇の諌暁」とを束ねて、「五箇の鳳詔」とも称されます。
 この鳳詔を、釈尊は『見宝塔品』で滅後の法華経弘通を勧められると共に、『提婆達多品』で法華経受持による「悪人成仏」「竜女成仏」という即身成仏の功徳相を示されました。
 これを受けて、当品の初めに薬王菩薩と大楽説菩薩は他の二万人の眷属と共に、
 「釈尊よ、けっして心配することはありません。私たちが滅後に法華経を受持し弘めましょう。滅後の悪世の衆生は、増上慢の者が多く、不善を行い覚りの道から遠く離れているため教化し難いけれども、忍耐の力を起こして妙法蓮華経を弘めることに身命を惜しみません(趣意)」(法華経 三七〇n)
と、釈尊に申し上げました。
 すると、既に記別を与えられた舎利弗以下五百人の阿羅漢をはじめ、学無学八千人の声聞衆も座を起ち合掌して、悪世に妙法を弘めることができない故に、娑婆世界以外の他の国土での法華経弘通を発願したのです。
 その時、釈尊は、摩訶波闍波提(釈尊の養母)をはじめとする六千人の比丘尼たちが、授記を望んで合掌礼拝するのを察せられて、摩訶波闍波提と六千人の比丘尼には一切衆生喜見如来という同一名号の記別を与えられました。
 また、羅メ羅の毋である耶輸陀羅(釈尊の后)が、授記の中に自らの名前が説かれないと思っていますと、釈尊は、別して具足千萬光相如来との記別を与えられたのです。こうして授記された比丘尼たちは大いに歓喜して偈を説き、声聞衆と同じく他土での法華経弘経を釈尊に晢いました。

  勧持を明かす〔二十行の偈〕

比丘尼たちの誓願を聞かれた釈尊は、不退転の境地にある八十万億もの菩薩衆を御覧になりました。すると、菩薩衆は釈尊の前に進み出てて心に合掌し、
 「若し釈尊が、私たちにこの経を受持し説法せよと告勅するのであれば、仏の教えの通りに広くこの妙法を弘通いたします(趣意)」(同 三七四n)
と、念じました。
 しかし、釈尊は黙然として告勅せられなかったため、菩薩衆はいかにすべきか考えた上で、釈尊の御意に敬順し、併せて自らの本願を遂げようと、
 「私たちは、滅後に十方世界を行き来して、多くの人々にこの経を弘通し受持信行させます。どうか他方の国土にあっても、遥かに私たちを守護してください(趣意)」(同 三七五n)
との誓願を立てられました。
 さらに悪世末法における法華経弘通の様相を思い、菩薩衆は声を一にして重ねて誓願されます。これが、
 「唯願わくは慮いしたもう為か らず」(同)
から始まる、「二十行の偈」と称される偈頌であり、この中で滅後の弘経に対する「三類の強敵」の出現が示されます。

  三類の強敵

 三類の強敵とは、釈尊滅後、法華経の行者に対して様々な迫害を加える三種類の敵人のことを言い、妙楽大師(中国天台宗第六祖・荊渓湛然)が『法華文句記』の中で名付けたもので、俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖増上慢の三種を指します。
 第一の俗衆増上慢とは、法華経の行者に対して悪口罵詈し、あるいは刀や杖をもって迫害する、仏様の教えに無知な在俗の人々のことを言います。
 第二の道門増上慢とは、自己の慢心が盛んなために法華経の行者を憎み、危害を加える邪宗の僧侶のことを言います。
 第三の僣聖増上慢とは、真の仏道を行ずるように見せて世間の人々から聖者のように尊敬されるけれども、その心は世俗を思って利欲に執着している僧侶のことを言います。この僧侶が世の人々に法華経の行者の過失を喧伝し、さらには国王や有力者、僧侶たちに讒言して法華経の行者に難を加えさせると説かれます。
 ですから、妙楽大師は『法華文句記』に、
 「此の三の中に初めは忍ぶべし、次は前に過ぎたり、第三最も甚だし。後後の者は転識り難きを以ての故に」(法華文句記会本―下 七五n)
と、第三の僣聖増上慢の正体は見破ることが難しく、三類の中で最も激しく巧みな手段を用いて、法華経の行者を迫害してくると釈されています。

  法華身読

 菩薩衆は、このような三類の強敵による様々な迫害に対して、
「衣座室の三軌」に基づき、
 「我身命を愛せず 但無上道を惜む」(法華経 三七七n)
との言をもって必ず釈尊滅後に法華経を弘通することを異口同音に誓願され、当品の説相は結ばれています。
 ここに示された「二十行の偈」を、釈尊滅後二千年を経過した悪世末法において実践されたのが、宗祖日蓮大聖人です。大聖人様は『寂日房御書』に、
 「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由他の菩薩は口には宣べたれども修行したる人一人もなし」(御書 一三九三n)
と、御教示あそばされています。
 この御文に明らかなように、八十万億の菩薩衆は、悪世の弘通に耐えることができないために他土弘通を誓願した声聞衆と異なり、釈尊の黙命に応じて娑婆世界の弘通を誓願しましたが、やはり大難には耐えられないとして、後に釈尊が地涌の菩薩を召し出だしたため、娑婆世界での妙法弘通は叶いませんでした。
 それに対して大聖人様は、地涌の上首・上行菩薩の再誕として悪世末法に御出現になり、「二十行の偈」を身読し、三類の強敵をことごとく退けられました。この身口意三業にわたる法華経読誦によって、日本第一の法華経の行者、さらには御自身が末法の御本仏であるとの大自覚に立ち、妙法蓮華経の要法を一切衆生救済のために御弘通あそばされたのです。
 大聖人様は『御義口伝』に、
 「勧とは化他、持とは自行なり。南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり」(同 一七六〇n)
と仰せられ、御法主日如上人猊下は、
 「三類の強敵を身をもってお受けあそばされた大聖人様がそうであったように、我らもまた、仏様の使いとして折伏を行ずることに、なんら恐るることなく、毅然として広布の使命に生きることが肝要であります」(大白法 七六五号)
と、御指南あそばされています。
 来たる平成三十三年・法華講員八十万人体勢構築の御命題成就に向けて一人ひとりが広布の使命を自覚し、三類の強敵に臆することなく、自行化他にわたる信行を実践してまいりましょう。