平成25年3月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
               御在世の信徒に学ぶ K
                   富木常忍 1
 今回からは、日蓮大聖人様に帰依をした信徒の中でも、最古参の一人である富木常忍について、学んでまいりましょう。
 富木氏は、もとは因幡国法美郡 富城庄(現在の鳥取県)に住んでいた国府役人の家柄でしたが、富木常忍の父の代に下総に移住しました。富木常忍は、下総国葛飾郡八幡庄若宮(現在の千葉県市川市)の領主であったと伝えられています。


 一説に富木常忍は、大聖人様が修行中に書写された書籍を所持していたことから、諸国を遊学し修行に励まれていた大聖人様に援助をしていたとも言われています。確実な文書としては、建長五(一二五三)年十二月九日付の『富木殿御返事』によって、このころにはすでに入信していたことが判ります。
 同御書には、
 「ひるはみぐるしう侯へば、よるまいり候はんと存じ候」(御書二五n)
とあり、このころ大聖人様の御住まいから行き来のできる所に、富木常忍は居を構えていたと考えられます。
 富木常忍は、下総の守護千葉氏に仕えており、『富士一跡門徒存知事』に、
 「一、観心本尊抄一巻。
 一、取要抄一巻。
 一、四信五品抄一巻。法門不審の条々申すに付いての御返事なり、仍って彼の進状を奥に之を書く。
 已上三巻は因幡国富城荘の本主今は常忍、下総国五郎入道日常に賜ふ、正本は彼の在所に在るか」(同 一八七一n)
とあるように、後に重要な御書を大聖人様より賜っています。なぜ重要な御書を大聖人様より賜ったのかと言えば、門下の有力な信徒であったことのほかに、富木常忍が比戟的安泰な社会的地位にあったために、聖教の厳護を見込まれ、託されていたと考えられます。
 また富木常忍は、最初の妻を喪った後、妙常を妻に迎えましたが、その連れ子は後に大聖人様の弟子・伊予房日頂(後の六老僧の一人)となり、またもう一人は後に日興上人を師匠とした寂仙房日澄師です。

  外護の大任
 富木常忍は、大聖人様の御化導の草創期に当たるころより、外護の大任を果たし、また門下の信徒の有力者として活躍しました。
 松葉ヶ谷の法難によって、草庵を襲撃された大聖人様は、一時、下総若宮の富木邸に滞在され、百日百座の説法を行ったと伝えられています。この百日百座の説法は、それを裏付ける文書がないので真相は判りませんが、実際に、文永三(一二六六)年から四年にかけて、大聖人様が上総・下総の弘経をされた折には、自身の邸に大聖人様をお迎えしたようです。
 文永八年の竜の口法難では、相模の依智に入られた大聖人様に書をもってお見舞い申し上げると同時に、佐渡へのお供として数名の入道たちを従者として遣わしました。この従者たちは、富木常忍への迷惑がかかるとの大聖人様の御配慮により、渡航前に越後の寺泊より還されています。
 弘安二(一二七九)年に熱原法難が惹起すると、大聖人様の依頼により越後房日弁師と下野房日秀師を自邸に迎え、滞在させています。
 このように、富木常忍は、大聖人様にとって、いざという時に頼れる心強い信徒であったのです。

  富木常忍の御供養
 富木常忍に宛てられた御書は、四十余編あります。この中には、先に挙げた『観心本尊抄』などの重要な御著述もあり、また御書状であっても著作に準じるものや御消息などがあります。
 これらの富木賜書から、富木常忍が大聖人様に奉った御供養の品々を列挙すれば、
 白米(富木殿御返事)
 青鳧・鵞目(四信五品抄など)
 筆(観心本尊抄送状など)
 墨(観心本尊抄送状など)
 帷(観心本尊抄送状)
 白小袖(四菩薩造立抄)
 薄墨衣と袈裟(四菩薩造立抄)
などがあります。この御供養のうち、青鳧・鵞目とは当時の貨幣のことです。
 特筆すべきは、大聖人様が御著作や御消息を御書きになる際に必要になる筆や墨の御供養があることです。大聖人様の御認めになられた御本尊様、そして数々の重要な御著述、またご信徒へ与えられた多くの御書状に、富木常忍の御供養された筆や墨が用いられたことでしょう。
 身延入山の様子が窺われる『富木殿御書』の追伸には、
 「けかち申すばかりなし。米一合もうらず。がししぬべし。此の御房たちもみなかへして但一人候べし」(同 七三〇n)
とあることから、富木常忍は、身延に向かわれる大聖人様に鵞目の御供養をされ、さらに従者のお供を手配したと推測されます。
 また大聖人様が佐渡へ向かわれる際にも鵞目の御供養をされています。こうした金子の御供養は、いつ何時、いかなる物資が必要になるか判らないとの富木常忍の配慮があったものと考えられます。
 このように富木常忍の御供養は、大聖人様の御化導を補佐し奉るのみならず、大聖人様とその門弟の生活をも支える尊い御供養であったのです。
       ◇
 今回は、富木常忍による外護と御供養について述べました。
 日蓮正宗の歴史を拝しますと、御僧侶を自宅に招いて法座を開いて弘教を進めたり、昨今の災害に際し、寺院の御本尊様と御住職を避難するのに自宅を提供するなど、折伏弘教と護法のために尽力した法華講の人々がいます。
 私たちは、こうした先達・先輩が示してくれた弘教と護法の姿を鑑として、御住職と共に折伏に邁進していかねばなりません。
 また御僧侶と私たち信徒の浄財により、総本山の堂宇や地域の各寺院の建立と荘厳がなされてきました。富木常忍による筆と墨などの御供養が、陰に陽に大聖人様の御化導を支えられたように、私たちの御供養が広宣流布の使命を果たすために様々な形に活用されていくのです。
 本年は待望の御影堂の落慶大法要が奉修されます。私たちは、御法主日如上人上人猊下の、
 「毎年度の折伏誓願の達成も、広宣流布の大願も、要は我等僧俗一同が志を同じくして団結し前進していくことが肝要であり、これが勝利の秘訣であります」(大日蓮 八〇三号)
との御指南をしっかりと拝し、御住職のもとに一致団結して、折伏を早期に達成し、晴れて御影堂の大法要を迎えられるよう、精進していくことが大切です。