平成24年11月1日付
日蓮正宗の基本を学ぼう
               御在世の信徒に学ぶ I
                   池上兄弟 2
 前回から、鎌倉の檀越中、四条金吾と並んで最古参の強信者である池上兄弟について、学んでいます。

  池上兄弟の信仰背景
 前回は、『兄弟抄』を中心に、池上兄弟・夫人の信心活動の様子を学びました。初めに、『兄弟抄』を賜った経緯と内容について、復習したいと思います。
 建治二(一二七六)年の初め、悪僧・良観の策謀により、父康光が兄宗仲を勘当し、さらに弟宗長に対しては家督を譲ることを条件に信心退転を迫るという事件が起きました。この勘当の報せを受けられた大聖人様は、ただちに『兄弟抄』を認めて池上兄弟とその夫人たちに送り、このたびの勘当は、正法修行による魔の所為であり、兄弟の信心が、真の信心になってきたが故に三障四魔が競い起こり、父母、主君等の身に入って信心を邪魔しようと計るのであるから、今こそ、魔を魔と見破って、ざらに強盛な信仰に励むよう、激励されました。
 しかし、兄弟にとって最大の悩みは、法華経の信仰をこのまま貫き通すか、あるいは親の命に従うかということでした。大聖人様の教導通りに法華経の信仰を貫くならば、父康光に背かなければならない。父親からの命令は絶対的なものです。大聖人様は兄弟の心中を察して、
 「一切は気やけ随ふべきにてこそ候へども、仏になる道は随はぬが孝養の本にて候か」(御書 九八三n)
と、一般世間の道徳では、親に従うべきであると説くが、仏法においては、成仏の道を妨げる親であるならば、かえって従わないことこそ孝養であると仰せられ、今こそ仏道修行を遂げて、自分自身が仏の境界を得ることが親をも救い、真実の報恩になると御指南されました。そして、兄弟二人はあたかも鳥の二つの翼、人の両眼のようなものであり、どちらか一人でも欠けたならば大事を成し遂げることはできないと、兄弟の異体同心を強調されたのです。
 さらに兄弟の夫人たちに対しても、いかなることがあっても夫と力を合わせ、共に励ましてこの難事に当たっていくようにと、一層の信心を促されました。
 この大聖人様の御教導により力を得た兄弟・夫人たちは、結束して父康光を諌めました。この団結に、父も手の下しようがなく、兄宗仲の勘当、弟宗長への家督相続の件もうやむやとなり、兄宗仲の勘当も一時は許されました。


  再度の勘当
 その後、建治三(一二七七)年十一月に至り、兄宗仲は、再び勘当されることになりました。以前、大聖人様のもとを訪れた弟宗長の夫人から池上家の内情を聞かれていた大聖人様は、遠からず兄宗仲に勘当のあることを予測されていました。
 父康光は、今度もまた、信心強盛な兄を退け、不動の信心が確立していなかった弟宗長に家督を継がせるという好餌をもって、兄弟へのかく乱と兄に対しての弾圧を行いました。これは、同年六月の桑ケ谷問答において、良観の庇護僧である竜象房が大聖人様の弟子三位房に敗北したことから、良観による大聖人門下に対しての執拗な復讐心からくる報復だったのです。すでに父康光は悪僧・良観の傀儡となっていました。
 兄宗仲は前回同様、大聖人様の檀越として生き抜く覚悟も固く、妙法への信仰は揺らぐことはありませんでした。
 一方、弟宗長も、身延の大聖人様のもとへ種々の御供養をお送りする等、大聖人様に対しての恋慕の思いは忘れていませんでしたが、兄の再度の勘当によって信心が揺らぐことを察した大聖人様は、宗長に対し、厳しい訓誡・激励の書状を送られました。それが建治三年十一月二十日の『兵衛志殿御返事』です。
 このお手紙の中で大聖人様は、
 「千年のかるかもやも一時にはひとなる。百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり。さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだまり給ふとみへて候。ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計らひなれば親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人々はこれをほめ候べし。(中略)法華経のかたきになる親に随ひて、一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりなんや。せんずるところ、ひとすぢにをもひ切って、兄と同じく仏道をなり給へ」(同 一一八三n)
と仰せられ、千年も経った刈茅でも、いったん火に遭えば一時に灰となり、百年かかって作り上げた功労も、わずか一言で徒労に帰してしまう。あなたは、今まで積み重ねてきた功徳を、退転することですべて水に流してしまおうとしているのである。このたび、宗長殿が法華経の敵である親に従い、法華経の行者である兄を捨てることになれば、世間の人々は、それを親孝行であると誉めるであろうが、果たしてそれが真の親孝行となるのであろうか。これよりは、恩愛の絆を断ち、兄と同じく成仏の道を歩みなさいと諭されました。


 続いて、
 「百に一つ、千に一つも日蓮が義につかんとをばさば、親に向かっていゐ切り給へ。親なればいかにも順ひまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄にすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。すこしもをそるゝ心なかれ。
  過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり」(同一一八三n)
と仰せになり、百に一つ千に一つでも、大聖人様の教えに随おうとの志があるならば、自分は兄と同じ心である、兄を勘当するのであれば、自分も兄と行動を共にする、と親に向かって言い切りなさい。過去遠々劫より法華経を信仰してきたのに、結局、仏に成れないというのは、まさにこうした難に怯んで退転することにあると御指南されたのでした。
 さらに大聖人様は、
 「しをのひるとみつと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(同一一八四n)
と、兄弟の信心は、今こそ重要な転換期にさしかかっていることを教えられ、この難を乗り越えていくところに成仏の境界があることを御指南されました。
 この大聖人様の書状を拝し、文面は厳しくも、深い御慈悲と御期待を感じた弟宗長は、自らの信心を深く省み、強い決意を奮い起こしました。そして、迷いを捨て、決然として父を諌めたのです。
 父康光もこれには窮したことでしょう。息子を二人までも失うにしのびなかったのか、翌弘安元(一二七八)年春、再度の勘当も解かれ、ほどなくして、兄弟は、二十年来信心に反対し続けてきた父を、ついに大聖人様に帰依せしめることができたのです。
 私たちも地上兄弟の信心を学び、勝妙なる妙法を試みに実践し、御命題達成へ向けて、三障四魔の用きに一歩も退くことなく、さらに折伏に精進してまいりましょう。